Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

タイム・オブ・ザ・ウルフ

2008-08-11 | 外国映画(た行)
★★★★☆ 2003年/フランス・オーストリア・ドイツ 監督/ミヒャエル・ハネケ
「忍耐力テスト」




どこの国かも、何が起こったのかもわからないまま、粛々と物語が進み、最初の30分くらいは本当にイライラさせられます。これなら、まだ断片手法のほうがマシです。断片がヒントだと思えば、まだ謎解きをしてやろうという意欲も湧くものです。しかし、本作は一応時間通りに物語が進みますので、その成り行きを観客は眺めているしかありません。でも、何も提示してくれないので、我慢するしかありません。そして、全て見終わってようやく、合点が行きます。どこぞのサスペンスみたいにラスト30分で盛り上がるんではないですよ。全てです。全て見て、ああっ!となるんです。ある意味、ミステリーですね。しかし、忍耐力を伴います。

本作、主人公アンナのふたりの子供とはみ出し者の少年以外に子供が全く出てきません。それは、一つの伏線なんですね。いくら大災害とは言え、子供はみんな死んだということはないでしょうから。しかし、諍いの絶えない飢餓状況にどうしても目が奪われてしまいます。そうこうするうちに、姉の方が、死んだはずの父に手紙を書くことで精神的な安定を図ろうとしたり、盗みを繰り返す少年とコミュニケーションを取ろうとしたりします。つまり、極限状態に置かれた子供(姉)が、何とかぎりぎりのところで生き抜こうとする心理状況は見て取れるわけです。しかし、これまたハネケのいじわるな「引っかけ」であることを、最後の最後になって思い知ります。

弟の名前は「ベニー」。「ベニーズ・ビデオ」のベニーです。こんな大きなヒントを見逃していたとは迂闊でした。冒頭、青い鳥が死んだ後、私はすっかりベニーの存在を軽視していました。時折、集団から外れて家族を心配させたりしますが、姉のように行動を起こすことはほとんどなく、まるで存在していない、またはいても邪魔な存在のようになっていく。まさにそれこそ、ハネケの目論見だったわけです。

ショックでした。私には、大人のエゴイズム、無神経さを描いた作品のように思えるのです。私が本作でベニーのことなどすっかり忘れていたように、大人は少年たちの抱える闇に気づこうとしない、というハネケの警告ではないかと。(何せ名前がベニーですから)しかも、ベニーが取った行動のやるせなさを考えると、大人の何気ないひと言でも少年は傷つき、深く己と対峙するのがわかります。これは、まるで絵本のような語り口ですね。もし冒頭、「あるところにふたりの姉弟がおりました。そして、大きな災害がやって来て、人々は食べるものもないほど困っていました」というテロップが流れれば、きっとすんなり物語に入っていけるのになあと思います。でも、意地悪なハネケはそんなことしません。我慢して、我慢して見続けた後に、大人である我々は大目玉を食らい、深く反省させられるのです。