Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

大日本人

2008-08-30 | 日本映画(た行)
★★★ 2007年/日本 監督/松本人志
「ちょっとずるい、と強く思う」




初監督作品の割には、えらいひねくれたもん作りよったな、というのが率直な感想。大体デビュー作と言うのは、取りたい気持ちが募って募って出てきた発露だったり、自分の中に溜まっていた澱を表出させたものだったりすることが多い。見かけは陽でも陰でも、ふつふつと湧き出るエネルギーのようなものがあって、私は「初監督作品」というジャンルが結構好きだったりする。

だけども、「大日本人」は松ちゃんのコントをスクリーンを使ってやったらどうなるか、という実験作のよう。実験するということは、確かに大きなチャレンジなんだけど、「映画」そのものに対峙しているというよりは、あくまでも手段としての「映画」に着目してみました、という感じ。フェイク・ドキュメンタリーのパロディというひねくれ具合も私は気に入らない。デビュー作なら、もっと真正面から映画に取り組んで欲しかったと思う。と、考える私は、頭が堅いんだろうか。

本作において、映画的時間が流れるのは、インタビューシーンだけだ。冒頭のバスの車窓から外をみやる大佐藤、スクーターに乗って変電所に向かう大佐藤の後ろ姿。インタビューシーンがなければ、ただのコント集と言ってもいいんじゃないか。でも、映画を映画たらしめているものがフェイク・ドキュメンタリーのパロディだなんて、全く人を食ったことをしやがるもんです。

タイトルはもちろん、神殿の前で変身したり、日本の若者を憂いたり、右よりな表現が続く。北朝鮮を思わせる赤鬼や最終的にはアメリカ人のヒーローに助けられるという皮肉も含め、一体そこにどれだけの強い意志で政治的メッセージを入れたかったのか。どれほど、肝を据えて赤鬼を出したのか、私には想像がつかない。「味付け」としての政治色なのか、それともみなぎる意思をスカしての表現なのか。松ちゃんが面白くないという批評をまともに受けて立ってまでも、作りたかった作品には感じられない。その辺の曖昧さが、ずるいようで、小賢しいようで。とどのつまり、そういう作品がデビュー作って言う斜に構えた感じがどうにも気に入らない。