Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ドラゴン・キングダム

2008-08-16 | 外国映画(た行)
2008年/アメリカ 監督/ロブ・ミンコフ
<MOVIX京都にて観賞>
「大いに満たされたミーハー魂」



長きにわたってクンフー映画を見続けたファンの方は、この映画に対して様々な異論、疑問、怒りを持たれるのでしょう。それは、とてもよくわかります。多分、それは私にとっては、YMOが3人揃ってパヒュームのバックバンドをさせられる、そんなシチュエーションに近いのではないかと。もし、そんな光景を目の当たりにしたら、きっと悲しくて、まともに見られないだろうな。

でも私は、まだまだクンフーはにわかファンですので、ジャッキー・チェンとジェット・リーという新旧対決をワクワクしながら、思う存分楽しんでしまいました。やっぱりワイヤー満載と言えども、体のキレやポーズの美しさが段違いに違いますもん。また、彼らに限らず1対1の対決シーンがふんだんに用意されていて、にわかファンには次から次へと繰り広げられるクンフーアクションが楽しいの、なんの。

ストーリーはもろ、RPGゲームのような子供だましのものです。そういうものに、ジャッキーとリーが出ているということも、コアなファンには納得しがたいのでしょうね。ただ、小学生の息子と家族で見に行ったものですから、このわかりやすさが良かった。夏休みの家族向け娯楽作と考えれば、こんなに贅沢なキャスティング、楽しまなければ損だと思って、ストレートに喜びました。

オープニングがとても良いのです。クンフーおたく少年の部屋一面に貼られたブルース・リーを始めとする香港映画のポスターが次から次へと立体加工されて、キャスティングを紹介。この映画の製作者もまた、クンフーおたくなんだな、というのが実によく伝わります。タランティーノが古い日本映画へのオマージュを臆さずに表現しているのとちょっと似ている。何だかすごく微笑ましい。その後も、酔拳を初めとする○○拳がいっぱい出てきて、製作者がジャッキーとリーにやって欲しかったんだな、というのが丸わかり。終盤には少林寺まで出てきて、もうクンフーネタのごちゃまぜ、てんこ盛り状態。

嬉しかったのは「ラッシュアワー3」で衰えを感じたジャッキー・チェンが、すごくキレていたこと。まだまだ、いけるぞ。片や心配なのは、ジェット・リー。「SPIRITS」でもう二度とハリウッド映画でクンフーはしない、と宣言していたにも関わらず本作に出演しているし、「ハムナプトラ3」でもしけた悪役をさせられている。彼の心境は一体今どうなんろう、と思う。あれだけのアクションスターはいないわけですからね、どうか納得できる作品に出演して、まだまだ彼の技を見せて欲しいと切に願います。

純喫茶磯辺

2008-08-15 | 日本映画(さ行)
★★★☆ 2008年/日本 監督/吉田恵輔
<テアトル梅田にて観賞>
「役者とセリフの違和感」



前作「机のなかみ」がやたらと面白かったので、ちょっと期待し過ぎてしまいました。

まずキャスト。どうしようもないダメ女「モッコ」を麻生久美子が演じているのですが、私は彼女に対して清楚で儚げなイメージが強く、最後までそのギャップに苦しみました。前作同様、女子キャラにおいて大どんでん返しがあるのかと先入観を持ってしまったのもいけなかったのかも知れません。ぼんやりしていて頭のトロいモッコが、終盤居酒屋でトンデモ発言を繰り返す辺りは、何ともむずがゆい悲しいような可笑しいようなムードが流れるはず、なんですが、やっぱり麻生久美子なだけに笑えませんでした。また、宮迫はヘタに演技がうまいのが却って裏目に出ていたように思います。喫茶店の客として、前作で主演したあべこうじと踊子ありが出てくるのですが、並んでいるだけで笑える、笑える。主演は、有名俳優じゃない方が作品の空気感がストレートに生きた気がします。これ、「アフタースクール」でも同様のことが言えるかも。

前半部、どうでもいいカットが多数インサートされるのですが、これが面白さの効果を発揮せず、逆に間延びした雰囲気になってしまっています。例えば、自分の足の裏の匂いを嗅ぐ娘の風呂上がりのシーンとか。ユルいテイストで面白さを出すと言うのは、本当に高度な技術だなあとつくづく感じさせられます。この点においては、山下作品はほとんどハズレがなくて、すごい。

一番興味深かったのが、セリフ。「え?」「あ…」と言ったひとことにも及ばない、一文字ひらがなのセリフが異様に多い。そして、「なに?」「いや…」「だね。」「まあね。」など、ほとんどコミュケーションの体をなしていない会話のオンパレードです。 これは、監督の意図的なものでしょう。そうとしか思えない。相手に気持ちを伝えるのが不器用な人々ばかりで、そのもどかしさを表しているのかも知れません。また現代人の会話を少々誇張して見せているのかも。こういうセンテンスを成していないセリフだけで、1本の作品が撮れるのか、という実験作のようです。本来ならば、それが笑いやおかしみになればいいのですが、俳優陣がそれをうまく使いこなせていないと感じました。あべこうじなら、このニュアンスはうまく表現できたかも。高校生の父親ってのは、年齢的に難しいですけど。

エンディングにかけての咲子の切なさがもっとめくるめくような展開と受け止められたら良かったのですが、結局最後までノリきれませんでした。これに尽きます。わざと「ハズす」。そして、そのズレを楽しむ。こういうタイプの映画の場合、どこまでノレるか、というのがポイントで、私は置いてけぼりを食らってしまった感じです。

ありがとう

2008-08-14 | 日本映画(あ行)
★★★★★ 2006年/日本 監督/万田邦敏
「すばらしい感動作。関西在住の方は、とにかく見て欲しい」



あまりにベタなストーリーでありながら、映画としてのクオリティの高さに感動。神戸への想いも込めて、文句なく五つ星です。感動もので五つ星を付けたのは初めてかも知れません。それくらい、すばらしかった。

前半の震災シーンの描写がすごいのです。容赦なく建物が壊れていく様は恐怖を覚えます。でも、戦争や原爆映画などに見られる凄惨さとは、少し違います。例えば、倒壊した家屋の隙間から覗く手。これが本当にどきっとします。これで十分に地震の脅威、人々のつらさが痛いほど伝わります。おそらく、その時はもっともっとひどい状況だったに違いありません。でも、俳優陣が特殊メイクをして怪我人や病人としてふるまった時に、観客はどう受け取るでしょう。おそらく震災当事者の方々は直視できないでしょう。また、そこに嘘くささや作り物としての拒否反応が出ないでしょうか。アスファルトに敷かれたお布団。枕元に弔いのろうそく。こういうシンプルなワンカットが強烈な印象と、深いメッセージを放つのです。作り手は、大勢の被害者を出したこの震災を描くにあたって、非常に細やかな配慮をしている。しかし、地震の凄まじさは恐ろしいほどに伝わってくる。そこが、すごく巧いのです。

震災後、古市夫妻が口論をします。「おまえは泣いてばっかりやないか。ええかんげんにせい。」「お金のかかるゴルフを黙ってやらせてあげてたのに、こんなことになってもうどうしょーもない。」こういうやりとりが、めちゃめちゃリアルなんです。そこから、「3つの顔」という話になります。これが、またアホみたいにベタな例え話でね、いつもの私やったら「アホくさ」と一蹴してしまうような話なんです。ところが、もの凄く心に染みました。泣けました。どんな人も登場人物のセリフに素直に耳を傾けたくなる。それは前半部の震災シーンの凄みがあるからです。そして、主演が赤井英和だからではないでしょうか。

「どついたるねん」以降、俳優赤井英和が私は好きです。最近はすっかり太ってにやけたオッサンになってましたけど、やっぱりこの人は映画では希有な存在感を示します。忠夫がことあるごとに、「おおきに」「やったるでー」と前向きな関西弁を連発しますね。これが、中井貴一だったらどうでしょう。佐藤浩市だったらどうでしょう。きっと彼らなら「おおきに」のひと言に心を込めて感情豊かに言うはずです。でも、それは何遍も聞いてると、だんだん嫌味に感じないでしょうか。ぶっきらぼうで、実直で、なーんも考えてない赤井が連発する「おおきに」だからこそ、やけに心に染みます。赤井が持っているピュアな部分がこの作品のメッセージとぴったり合っているのです。映画が始まってすぐゴルフ場のロッカーシーン。デジタル時計が「5:46」を示し、赤井が「起きた!」と叫ぶ。赤井らしくて、すごいいいシーンです。また、忠夫を支える田中好子、薬師丸ひろ子。そして、消防団仲間の尾美としのりと光石研。脇を支える俳優陣もすばらしい演技を見せます。中でも田中好子は出色の出来映えだと思います。

空撮シーンがたくさん出てきます。復興後の神戸の街並み。長田の火災のニュース映像。鮮やかなグリーンがまぶしいゴルフ場。空撮の映像でこんなに感傷的な気持ちになったのは、初めてかも知れません。それほど、空撮が効果的です。また、冒頭の廊下でのシークエンスがラストに再び登場する。こういう映画としての巧いテクニックも随所に光ります。「星になった少年」で日本映画は感動作を作るのが下手と言いましたが、撤回します。これは、全ての人に見て欲しい感動作です。阪神大震災を忘れたらあかん。忘れかけてた当たり前のことを思いだし、しっかりと心に刻みました。

あなたになら言える秘密のこと

2008-08-13 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 2005年/スペイン 監督/イザベル・コイシェ
「個性あふれる感動作」




感動作として完成度が高いだけでなく、非常に個性的な映画だということで感銘を受けました。その個性の一つは、場所や環境の描き方です。簡素で無機質なハンナの勤める繊維工場。帰り道には、錆びた船の残骸や山のように捨てられたゴミが見えます。一方、ジョセフが勤めるのは海の真ん中にポツンと建つ鉄骨の油田掘削所。まるで世界から見放された場所のよう。スクリーンから潮の香りすら感じさせられました。

そして、これほど寂しげなシチュエーションでありながら、作品としては全く殺伐としたムードが漂っていない。そこがとてもすばらしい。時折インサートされるほんのちっぽけな心の交流が、ぽわんと明かりを灯すようなのです。ハンナとジョセフの会話のシーンでは、カメラはまるでカーテン越しにふたりを捉えているかのような撮影です。スクリーンの端にぼんやりとした影が写ったり、ゆらゆらと揺れたり。その距離感がとてもいいんですね。じっと2人を見守っているような感じです。

ハンナが告げる秘密の壮絶さには、息を呑みました。静かに進む演出だからこそ、その事実の持つ痛みが我々に突き刺さります。また冒頭、「私はハンナの友人です」という語り部の存在がいるのですが、一体それは誰なんだろうと思っていたら、ラストシーンでその秘密が明らかになります。これまた、実につらい現実なのですが、幸福の予感と共に語られることで、ハンナの悲劇が終わりを告げることを感じさせるのです。食事が物語のアクセントになっているのも巧い。とてもいい脚本です。

ティム・ロビンスはさすがの演技ですが、ある意味期待通り。むしろ、サラ・ポーリーの存在感でしょう。感情の起伏の少ない役どころで、もちろん彼女が秘密を抱えていることは観客の誰しもわかっていることですが、悲壮な感じや刺々しい感じがありません。彼女の肩にそっと手を添えてあげたい、そんな気持ちになりました。監督のイザベル・コイシェはバルセロナ出身のスペイン人。スペインと言えば、人物の感情表現は激しく、色鮮やかな映像美なんかを思い起こさせるのですが、この人は全く違いますね。その辺りも実に興味深いところです。

ファニーゲーム

2008-08-12 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 1997年/オーストリア 監督/ミヒャエル・ハネケ
「悪夢を見て、我々は変われるのか」




映画を気分転換や楽しく過ごすためのものと捉えている方は、ご覧にならない方が良いと断言します。

こんなに胃が痛い映画は他にはありません。馬鹿馬鹿しい話ですが、最初から最後までスクリーンの前で神に祈り続けました。この家族を助けてください、と。そもそも、観客を裏切ることを得意とする監督ですから、いくらこちらが期待しても駄目なんだろうなというのは、予測できます。しかし、これだけきっぱり撥ね付けられると、今度は、「これは映画なんだ、現実じゃない」なんて心が叫び出します。すると、そういう心を見透かしたかのように、この馬鹿男どもが、したり顔で「現実」と「虚構」について話し始めるのです。

「虚構は今見ている映画」「虚構は現実と同じくらい現実だ」とね。

この期に及んで、事態を正視できぬ心の弱さにがつんと一撃を食わせる。ハネケの意地悪ぶりには本当に参ります。しかし、本作が観客をただ不快にさせるだけの暴力映画でないことは、この「現実」と「虚構」にまつわるハネケの提示があるからこそでしょう。目の前で行われている暴力をただ眺めているしかできない、我々観客。スクリーンの向こうの出来事ですから、何の手出しもできない。当たり前です。しかし、パウルは、スクリーンに向かってウィンクしたり、話しかけたりして、我々を挑発します。それはまるで「アンタももっとゲームを面白くして欲しいんだろ?」と言わんばかりです。そして、虚構は現実と等しいというテーゼ。

確かにこの映画を見始めた時から、我々は強制的にゲームの参加者にさせられています。しかし、そんなのあんまりではありませんか。観客にだって意思はあります。もしかしたら、「ファニーゲーム」不買運動でもして、DVDを燃やして見せたりすれば、ハネケは満足なのでしょうか?

何度も見る気になれない映画。こんなゲーム一度参加すれば十分でしょう。なのに、ハネケはハリウッドでリメイクしたようです。ハネケは「映画が娯楽のためにあるというのなら、私の映画は存在する意味がない」ときっぱり言っていますし、これまでの作品を見ても、アメリカという国を意識しているのはわかります。よって、ハネケ作品の中でも「暴力」に絞った本作をハリウッドという場所でリメイクする、ということそのものに意図があるのでしょう。リメイクのトレーラーを見ましたが、特にナオミ・ワッツの演技に背筋がざわざわとしました。アメリカの有名人俳優が演じることによって、この突然もたらされる理解不能な暴力は、さらに我々の身近なものに感じられるに違いありません。私は再びこのどうしようもない物語を見るのでしょうか。またゲームに参加してしまうのでしょうか。それは、私もまたパウルのような邪悪さを持っていることの証明にはならないでしょうか。恐ろしい映画です。

タイム・オブ・ザ・ウルフ

2008-08-11 | 外国映画(た行)
★★★★☆ 2003年/フランス・オーストリア・ドイツ 監督/ミヒャエル・ハネケ
「忍耐力テスト」




どこの国かも、何が起こったのかもわからないまま、粛々と物語が進み、最初の30分くらいは本当にイライラさせられます。これなら、まだ断片手法のほうがマシです。断片がヒントだと思えば、まだ謎解きをしてやろうという意欲も湧くものです。しかし、本作は一応時間通りに物語が進みますので、その成り行きを観客は眺めているしかありません。でも、何も提示してくれないので、我慢するしかありません。そして、全て見終わってようやく、合点が行きます。どこぞのサスペンスみたいにラスト30分で盛り上がるんではないですよ。全てです。全て見て、ああっ!となるんです。ある意味、ミステリーですね。しかし、忍耐力を伴います。

本作、主人公アンナのふたりの子供とはみ出し者の少年以外に子供が全く出てきません。それは、一つの伏線なんですね。いくら大災害とは言え、子供はみんな死んだということはないでしょうから。しかし、諍いの絶えない飢餓状況にどうしても目が奪われてしまいます。そうこうするうちに、姉の方が、死んだはずの父に手紙を書くことで精神的な安定を図ろうとしたり、盗みを繰り返す少年とコミュニケーションを取ろうとしたりします。つまり、極限状態に置かれた子供(姉)が、何とかぎりぎりのところで生き抜こうとする心理状況は見て取れるわけです。しかし、これまたハネケのいじわるな「引っかけ」であることを、最後の最後になって思い知ります。

弟の名前は「ベニー」。「ベニーズ・ビデオ」のベニーです。こんな大きなヒントを見逃していたとは迂闊でした。冒頭、青い鳥が死んだ後、私はすっかりベニーの存在を軽視していました。時折、集団から外れて家族を心配させたりしますが、姉のように行動を起こすことはほとんどなく、まるで存在していない、またはいても邪魔な存在のようになっていく。まさにそれこそ、ハネケの目論見だったわけです。

ショックでした。私には、大人のエゴイズム、無神経さを描いた作品のように思えるのです。私が本作でベニーのことなどすっかり忘れていたように、大人は少年たちの抱える闇に気づこうとしない、というハネケの警告ではないかと。(何せ名前がベニーですから)しかも、ベニーが取った行動のやるせなさを考えると、大人の何気ないひと言でも少年は傷つき、深く己と対峙するのがわかります。これは、まるで絵本のような語り口ですね。もし冒頭、「あるところにふたりの姉弟がおりました。そして、大きな災害がやって来て、人々は食べるものもないほど困っていました」というテロップが流れれば、きっとすんなり物語に入っていけるのになあと思います。でも、意地悪なハネケはそんなことしません。我慢して、我慢して見続けた後に、大人である我々は大目玉を食らい、深く反省させられるのです。

SEX and the CITY  シーズン6

2008-08-10 | TVドラマ(海外)
<VOL.1>
「シャーロットに幸福の予感」

私、シャーロットの何がイヤだって、周りを良く見ない猪突猛進なところなのね。その最たる物が、トレイとの妊娠格闘合戦。見ていて、いいかげんにしなさいよ、と突っ込みたくなった。でも、ハリーと知り合って、彼女の一途な部分がようわく報われようとしている。一途な女を受け止められるのは、度量の広い男だけ。男のために改宗なんて、正直まだまだ引いちゃうところがあるんだけど、当のハリーがそれを愛だと感じてくれるのなら、それはそれでいいじゃん、と思い始めてきた。やっぱり、相手次第で人間って、短所が長所に変わってしまうものなのね。みなさん、自分を輝かせてくれる男を選ばないとダメっすよ!

そして、ミランダ。やっとアンタは気づいたのか、スティーブへの愛を。遅すぎるよ~っと、じだんだを踏む、そんなアタシみたいな視聴者いっぱいいるんだろうなあ(笑)。子どもを産んで、家族で過ごす何気ない日常生活に愛しさを感じるようになったミランダ。アンタはかけがえのない大切な物に気づいたんだね。

んでもって、サマンサのお相手のジェリーってウエイター、カッコ良すぎ!このレビュー、ハリーがすごいいい奴だから、男は外見よりも中身です。って締めようとしたけど、できなくなったじゃん。ボクの本当の顔を知って欲しいって言うジェリー、かわいすぎる。それでも、適当にあしらってるサマンサ、アンタは本当にBIGなオンナだぜ。私なら、速効撃沈してます。



<vol.2>
「シャーロットとハリーに泣けた」

最終シーズンに入って、4人それぞれの恋愛が山場を迎えていくんだね。そのトップバッターが、シャーロット。えーハリーと別れちゃうわけ~っとガッカリさせておいて、実に微笑ましいハッピーエンド。ハリーに再会して、自分の本当の気持ちを打ち明けるシーンが、泣ける。見栄を張ったり、嘘で気を引いているうちは、本当の愛じゃないのよ。「やっぱり、あなたのことが忘れられない」って、正直に打ち明けるシャーロット。手放したくない時は、駆け引きせずに素直に行くのがイチバンなのよね。ひざまずいて「ボクと結婚してください」。ハリーは、ちゃんとシャーロットの理想のプロポーズをしてくれましたよ!イイ奴だぁ~。

そして、ジェリー改めスミスくん。サマンサが彼をどんどんオトコマエに磨いて行く!これぞ、本当のあげまんってやつじゃないっすか。最初はゲイ、その次はティーン。さすが、サマンサ姐さん、狙い所を知ってらっしゃる!PR会社社長として手腕を磨いてきたのは、スミスくんを得るためであったかのよう。あのポスター、欲しいなあ。しかも、名前だけだけど「ガス・ヴァン・サント」が出てきてびっくり。メジャーな娯楽作品じゃなく、ガス・ヴァン作品のジャンキー役に抜擢ってのが、なかなかツボを抑えた渋い展開ですね。

キャリーは、案の定バーガーと別離。ミランダは、正直になれないイライラばかりが募る。ミランダよ、今回ばかりはシャーロットを見習い、素直になるべし。


<vol.3>
「ラストまで一気です」

この辺りから最終話まで一気に見ちゃいました。だって、ホントにどんどん面白くなるんだもん。キャリー以外の面々はそれぞれのパートナーとの関係が丹念に描かれていくので、結構考えさせられることも多いの。

晴れてハリーと結婚したシャーロット。散々な結婚式に号泣するけど、「式がひどければひどいほど結婚はうまくいく」と言うキャリーの励ましで気を持ち直す。昔のシャーロットなら、こんな励ましでも絶対立ち直ってなかった気がするなあ。好きな人と一緒になれることの喜びを心から感じられるなら、結婚式がどうなろうと関係ないよね。笑顔で式場に戻ったシャーロットを見て、「アンタも大人になったねえ」と母親の気分のようで感慨深かったです。でね、よく考えてみると、映画版のキャリーは、このシャーロットの結婚式の顛末を全然教訓にしてないのよ!実は、このドラマシリーズで精神的に一番成長できていないのは、主人公キャリーじゃないかと思う。

そして、キャリーの靴騒動。485ドルのマノロ・ブラニク…。育児でてんてこまいの人間からしたら、皮肉のひとつも言いたくなるのもわかるような気がするの。まあ、その物言いがあまりに横柄で腹が立つんだけどさ。でも、このエピソード、既婚女性と独身女性のズレを見事に描いていると思う。「子供のために」という冠が付けば何でも通ると思っている子持ち女性の図々しさは、世界共通だね。(私も子持ちだけど)一方、出産祝いを持って行くのに、そこまでオシャレしなくてもいいじゃんとも思うのよ。これどっちの立場に立っても、何かと突っ込めますね。これぞ、SATCの醍醐味。


<vol.4>
「愛の告白は場所を選ばない 」

シャーロットに引き続き、恋の山場を向かえるのはミランダ。私はずっとミランダを応援してきたので、この洗濯室での告白シーンは、ちょっと泣けた。たまらず口に出てしまった「愛してる」。ずっと蓋をしてきた気持ちが、思わぬところで開いてしまった、そんな感じがとてもいいの。以前、一度お洒落なレストランをセッティングして告白しようとしたけど、失敗したでしょ。あれとは真逆。ホントの気持ちは、場所を選ばず口からあふれ出てくるんだね。この間、付き合っていた黒人のロバートがすごくイケメンだったので、ちょっともったいないぞ、と思ったりしたんだけど(笑)、地位もルックスもある男を振ったってのがミソ。やっぱり、それでもスティーブが忘れられないってね、うーん、泣ける。

そして、真打ちビック登場。以前タイミングのいい男って言ったけど、今回もバーガーにフラれた後に、タイミング良く現れる。手術をするんだと言う告白に思わず号泣のキャリー。あれこれと世話を焼くキャリーを見ていて、彼女にとってビックってのは、既になくてはならない存在だってのは一目瞭然よね。ただ、その気持ちは例えば自分の肉親が病気になってしまったようなものなのかしら、とも思えるの。いつも自分のそばにいて当然、空気のような、身内のような感覚なのだとしたら、「恋をしたい!」気分が人一倍強いキャリーが果たしてビックとハッピーエンドになるのか?と思ったり。もうそろそろドラマも終盤ですからね、この二人は結局どうなるのかを常に妄想(笑)しながら見てしまう。結局、この回では視聴者の期待は見事にスカされるわけだけど、お楽しみは後にとっときましょうって、ことなのよね。このじらし方が巧い。


<vol.5>
「サマンサの涙」

昔の男、リチャードとセックスして、後悔のあまり涙を見せるサマンサ。「女だって、楽しむためにセックスをする」が持論の彼女にとって、男を寝たことを後悔したのは、これが初めてじゃないかな。毎回、違う男と寝るような華々しいセックス遍歴を持つオンナをついに泣かせたわけですからね!スミスくん、アンタは大物です。この回から、もう私は完璧にスミス派になっちゃいまして、ビッグも、アレクサンドルもどーでも良くなりました(笑)。ハートがあるから、ハリーっていいヤツって、思ってましたけど、スミスくんは見た目もハートも完璧ですから。「サマンサ姐さん、ついに運命の男をゲットしたんでないですか!?」とひとりテレビに向かって吠える。

さて、ロシア人アーティスト、アレクサンドルとデートを重ねるキャリー。あのさー、何度も言うけどキャリーって、コラムニストのくせにファッション以外のこと知らなすぎじゃないかしら?おしゃれなニューヨーカーなら、アートのことくらい少しは詳しいもんなんじゃないの?正直、ファッション以外に関しては「ダサイ」のよ、キャリーって。この野暮ったさが、見ててホッとするとか言うのでしょうか?私は結構イライラしますけども。

そして、ミランダは街中の小さなガーデンで慎ましく結婚式。黄色やオレンジの木々の落ち葉がすごくきれいで、赤毛のミランダにぴったりなのよ。そして、サマンサの乳ガンが発覚。なるほど、こう来たか…と感慨深いですね。シーズン4あたりから、結婚や出産など、4人それぞれ好きなときに好きなことを何でもできる状況じゃなくなってきた。でも、それでもユーモアを交えつつ、友情を描いてきたわけです。しかし、ガンとなると、話は深刻でしょ。物語は湿っぽくならざるを得ない。このガンという緊急事態から、どれくらいSATCらしさを発揮できるのか。そこが、ラストまでの大きなポイントなのです。第14話のラスト、結婚式を終えたミランダがしんみりとテーブルを囲む3人に「何なの?今すぐ話して!」と詰め寄るシーンは、かなりお気に入り。


<vol.6>
「それぞれの暮らし」

乳ガンの化学療法で髪の毛が抜け始めるサマンサ。くよくよと悩むくらいなら、いっそのこと丸刈りにした方がマシとバリカンで刈り始める。そういう結論に至るサマンサのオトコマエなところがいいのだ。そして、そんな彼女を愛おしく見つめるスミス。「もう、あなたは私に関わらない方がいい」と言う彼女の言葉を聞いて、バリカンをひったくり迷わず自分の頭を刈り始めるスミス。はあ、泣けました。SATC全エピソードの中でいちばん、泣けました。100の慰めの言葉を言うより、本能的に彼が取った行動の何と愛にあふれていることか。そして、レッドカーペットに降り立つ二人。はあ、丸刈りのスミスくん、超カッコイイし!前より、素敵になってるし!「サマンサ姐さん、スミスくんを手放しちゃダメだ」と、またテレビに向かって吠える。

そして、ミランダは家族の暮らしのためにブルックリンへお引っ越し。都会の華やぎや便利さを捨てて、家族の暮らしを取る決意をするミランダ。転居前に夜のバーにみんなで集合して「マンハッタン」で乾杯。友だちっていいね~ってしみじみ思わされます。

キャリーは、アレクサンドルとパリに行くかで悩む。ええっと…。あなた、ニューヨークを離れるビッグにさんざん「ニューヨークを捨てるなんてジンジラレナイ!」とか、言ってませんでしたっけ?エイダンの時から綿綿と続く「自分のホンネを男に言えない体質」が未だに直ってないんですよね。一体、どれだけの恋愛を重ねれば変わるのでしょうか。

最終回はまだ先ですけど、結局、このドラマでいちばん変わらなかったのは、キャリーなんですよね。ミランダは仕事一筋から家族思いになったし、シャーロットは自己中心的な性格が直ったし、サマンサはワンナイトラブから卒業したし。キャリーの変わったことって、クローゼットの中身くらいでしょう?でもね。ここんところが、このドラマのツボなのかも知れないですね。出会う度にいろんな男に右往左往するキャリーを、他の3人が何だかんだとフォローしていく。それが、最終話、見事に結実するんですね。シーズン6の脚本はなかなか秀逸です。


<vol.7>
「友情あればこそ」

こんなに長いアメリカのドラマを見たのは初めてでしたので、「ついに終わった…」と感慨もひとしお。特にシーズン6に入ってから、ますます面白くなり、4人それぞれが新たな局面を迎えつつ、しっかりと深い絆を描き出しているのが、とても良かったです。

ビッグがパリに旅立てたのは、シャーロットが留守電を聞いたからであり、ミランダが背中を押したからこそ。そう考えると、みんなの友情がキャリーに幸福をもたらしたわけで、実にSATCらしいエンディングで大満足でした。特に3人がランチしているところにビッグがやってくるシーンはお気に入り。ビッグの告白を聞き、少しうつむき加減に何かを考え込んだミランダが、ぱっと顔をあげて「キャリーを連れ戻して!」と言うところは、何度も巻き戻して観てしまいました。

また、会場の観客が次々とかつらを外すサマンサのスピーチシーンが泣ける。キャリーのハッピーエンドよりも、こっちの方が感動的だったな。ちゃんと会場に来てて、誇らしげに拍手をするスミスくんが、素敵。そして、「春を待ってる」というカードと花の贈り物。何なんでしょうか、この包容力は。まさにサマンサが育て上げた男と言えましょう。そして、養子縁組が決まり喜ぶシャーロットとハリー、体調の思わしくない義母をお風呂に入れてあげるミランダ。いやはや、あちこちに「愛」があふれた最終巻となりました。

キャリー以外の面々がシーズン6で直面する出来事は深刻なものばかりでした。不妊に悩むシャーロットは、流産したり、養子縁組が決まらず悩みます。また、ミランダは長年親しんだ街を離れ、義母が認知症に。そして、サマンサは乳ガン治療による副作用に苦しみます。あのおちゃらけたシーズン1から、このような展開を誰が想像したことでしょう?それでも、4人はできるだけ時間を作ってテーブルを囲み、グチをぶちまけ、励まし合い、ジョークを飛ばして笑い続けてきた。このランチの時間が、どれほど4人にとってかけがえのないものだったか。アレクサンドルとのデートでキャリーが一度ランチタイムをすっぽかしたことがあります。あの時ミランダがキレまくってましたね。「たかがランチに来なかっただけ」じゃないんです。あの時間を失えば、友情も、思いやりも、絆も何もかもがなくなってしまう。だからこそ最後の4人が集まるシーンは、パリから帰ってきたキャリーをランチタイムに迎えるシーンなんでしょう。40代になっても、50代になっても、こんな友情が築けたら本当に素敵。身の回りの友を見渡し、彼女たちとの絆を大切にしようと、自ら言い聞かせる。そんなドラマとなりました


机のなかみ

2008-08-09 | 日本映画(た行)
★★★★★ 2006年/日本 監督/吉田恵輔
「こいつは、おもしれえ!」

漏れ聞いていた噂からもっと手法のこだわりが前面に出た作品なのかと思っていたのだが、見事に裏切られた。見せ方に凝った映画が、後半ただの種明かしで終わって、チャンチャンとなってしまう虚しさとは無縁。むしろ、ますますドラマは面白くなり、オバサンも胸キュンの高校生の恋バナへと変貌。こいつは面白い!

家庭教師馬場のあまりの調子の良さ。こんなヤツいるぅ~と言う軽いノリとオフ・ビートな雰囲気。そして、いよいよ馬場が女子高生に襲いかかる…となったその瞬間、フィルム途切れて暗転。ドラマは最初に巻き戻し。ええ~っ。このだまし討ちのような意外性にまず拍手。第一部において、望の家庭教師に対する反応が徐々に変化しているのは、わかった。そして、それが馬場のせいではないことも。しかも、望が好きな相手も実は薄々感づいてはいたのが、それでも第二部がますます面白い。それは、主人公望を演じる鈴木美生の嫌味のない愛らしさ、揺れ動く乙女心が実に瑞々しく、観客のハートをがっしりと掴むからだ。その点において、私は吉田監督の演出力に感心した。だって、この望というキャラクターはうっかりすると、女性陣から猛反発をくらう「いじけキャラ」だからだ。カラオケ場面から展開される、まるでアイドルのPVみたくなシークエンスも、その確信犯的なやりように思わずニンマリとしてしまう。

全く内容を知らずに見たので、馬場から望へ、というバトンタッチが実に鮮やかで気持ちいい。「リップ貸して」を始めとする、高校生活のコミカルなシーンもそこかしこで効いている。親友とは名ばかりの友人、男たちのずるさ、父娘家庭のやや異常な日常など、明かされる机の中身は実にバラエティ豊かなテーマを内包していて、一体この物語がどんな結末を向かえるのかとラストに向けて期待がぐんぐんと高まる。何せ巻き戻ったシーンがあれですから。

そして、切なさ満開の第三部へ。男たちはあくまでもずるく。一方、女たちは愛をつかんだ者とまだつかめない者、対称的なエンディングへ。脚本をいじって小技を効かせた作品だろ、と高をくくっていた私は、強烈パンチを喰らいましたよ。お見事。

恋しくて

2008-08-08 | 日本映画(か行)
★★★★ 2007年/日本 監督/中江裕司
「地方発、日本映画の可能性」



沖縄の魅力を我々に見せ続けてきた中江監督。しかし、本作では沖縄を前面に出すことよりも、高校生らしい青春物語をクローズアップさせることに注力したようです。その狙いは、しっかりと達成されていて、うだうだとしたバンド練習のシーンやちょっぴりほろ苦い恋の行方など、「青いなあ」「若いっていいなあ」としみじみ思わせられました。

しかし。それでもなお、やっぱり「沖縄的なるもの」が本作を支えていることは間違いありません。これまで、「つかみ」や「フック」として利用されていたものが、本作では「隠し味」のようになっていると言ったらいいでしょうか。それは、例えば主人公の栄順がまだつきあい始めたばかりの加那子に「結婚して、子供作ろうさあ~」と言う。それは、都会の高校生の男子には、およそできない発言だと思われるのですが、沖縄が舞台だと、なるほど、そういう価値観なんだなあ、と妙に納得もし、また新鮮に感じられます。

また、加那子が見せる琉球唐手のシーンもとてもいい。空手は中国から沖縄に入り、唐手と呼ばれていた。そこから本土に伝わった時に「空手」と名前を変えていったようです。琉球唐手がどれほど現代の沖縄の若者に受け継がれているのか、私は知りません。しかし、気分がもやもやした時に精神統一のために黙々と空手の型を磨く。そんな加那子は、沖縄的なるものの継承者のようにも見え、彼女が最後に出す結論もしごく真っ当なものに思えます。

そうして全体を眺めていると、山下監督の「天然コケッコー」が頭に浮かびます。共に、甘酸っぱい恋模様が軸になっていて、作品をより豊かに見せるのは、方言、豊かな自然、そして地方の文化です。そんなことを考えていると、日本には、まだまだ地方発の青春映画の可能性があるのではないかと思わされるのです。例えば、香川の高校生は製麺所でデートするのだろうか、北海道の牧場の息子は絞りたての牛乳をガールフレンドに飲ませるのだろうか。いろいろ考えていると、何だか楽しくなってきます。これまで「沖縄」には飛び抜けて独自の文化があり、それを見せるだけで独創的な作品になるように思っていたのですが、それは大きな勘違いなのかも知れない。まだまだ、日本には面白い「隠し味」がいっぱいあるんではないか、この作品を見てついそんな風に思ってしまいました。

モーツァルトとクジラ

2008-08-07 | 外国映画(ま行)
★★★★ 2004年/アメリカ 監督/ペッター・ネス
「恋の成就が人生の門出 」




アスペルガー症候群の2人のラブストーリーってことで、もっと恋の行方がしっちゃかめっちゃかするのかと思ったらさにあらず。病気によって引き出されるトラブルをあまり悲惨に見せていないの。それが、とても良かった。かわいそうだとか、たいへんだとか、観客がそう思ってしまう演出って、おそらくふたりのピュアな人間性を表現するには、邪魔ものでしかないと思う。この監督は、非常にスマートですね。

よって、誰にでも当てはまる普遍的なラブストーリーになっていると思います。誰かと深く関わることの畏れというのは、今を生きる現代人は少なからず持っているものでしょう。アスペルガー症候群の彼らはその「自分の殻」が我々よりも少々固い。でも、殻から出るのも、殻をつつかれるのも、誰だって怖いのです。殻に閉じこもっておけばラクだという気持ちと乗り越えたいという気持ち、その相反する感情に揺さぶられる。そんな境遇には、どんな人でも共感できるのではないでしょうか。

すばらしいのは、ふたりにとって恋が成就することが、すなわち人生を切り開くこととイコールである、ということ。恋が実って良かったね、という安堵感もありますが、むしろふたりが自分の手で人生の新たな門出を開いたその姿が感動的。全編に渡ってさらりと見せる演出なのですが、見終わった後でじわじわと幸福感が味わえる秀作だと思います。

ホリデイ

2008-08-06 | 外国映画(は行)
★★★☆ 2006年/アメリカ 監督/ナンシー・マイヤーズ
「人物造形が甘い」




大人のロマンスとして評価が高いんですが、私はちょっと辛口で。

ホーム・エクスチェンジは、面白いですね。身の回りの環境をごっそり変える。こんないい失恋からの立ち直り方法はないんじゃないでしょうか。でもね、4人の登場人物全てに作り込みの甘さを感じます。特にアマンダ。経営者の割にはキャピキャピし過ぎです。両親の離婚以来、涙を見せずに頑張ってきた、という設定なら、もう少し自立心のある女性、業界で生き抜いてきた自信や苦労、そういうものが見えるはずです。

脚本上、肉付けされたアマンダのあれこれ(それは、キャメロン・ディアスのキャラ頼みに見せないためのあざとさにも感じられる)とキャメロン演じるアマンダのイメージが、フィットしていない。そこがとにかく終始気になりました。申し訳ないですが、キャメロン・ディアスって下手だなぁ…。

また、ラブストーリーとしての、ドラマティックな盛り上がりに欠けます。心にじわ~んと来るのは、むしろアイリスと90歳の脚本家アーサーとの交流であったりするわけです。このエピソードは、サイドストーリーとして面白い展開には違いないのですが、メインを食ってしまうようでは…。むしろ、ジャック・ブラックのキャラをもっと立たせて欲しかった。悪い話じゃないけど、取り立ててグッと来るラブストーリーでもないなあ、というのが正直な感想です。まあ、お気楽なデートムービーにはピッタリというところでしょうか。

ハッスル&フロウ

2008-08-05 | 外国映画(は行)
★★★★ 2005年/アメリカ 監督/クレイグ・ブリュワー
「ナイスバディねーちゃんを下からぐいーんとあおるのだ」





車で売春させる女をしきる、いわゆるポン引きの裏稼業を「ハッスル」と言うんだね。知らんかった。そのハッスル稼業をしているDジェイが、もう一度音楽で成り上がろうとするお話。

主演のテレンス・ハワード、「クラッシュ」や「ブレイブワン」のスマートな黒人の面影なし。黒人ラッパー特有のにちゃにちゃした英語が板についていて、ポン引き稼業のダメ男を熱演。アカデミー賞ノミニーも納得だね。ラップもすげえうまいぞ。白人ピンプ、ノラのスレンダーなミニスカ姿を道ばたからぐいーんとあおる、そのカットの美しさ。キメたいショットがびたーっと決まるのが、サイコーに気持ちいい。それは、おそらく、車で売春、そこから醸しだれるイヤらしさを敢えて見せていないから。

これ例えば日本で言うと、売れない演歌歌手が一旗揚げてやろうみたいな、ベタで泥くさーいストーリー。今どき「Dジェイ」なんて名前もダサすぎるし。有名人と知り合いなんてうそぶくのもカッコ悪いし。でも、そのダサさが、演出次第で「かっけー!」みたいな瞬間をキラリと生み出す。そこが、この作品の醍醐味。

タランティーノもそうだけど、やっぱり車の映像を撮るのが、アメリカ人はうまい。ガチャガチャとカーラジオのボタンを押したり、銀色に輝くホイールがぐいんぐいん回るのを路面からとらえたり。ラップという音楽の力強さ、シンプルさと、映像がぴったりマッチしてる。汚ねーボロアパートで、録音作業。Dジェイの魂の叫びが、ビートに刻まれる。うまくいかなくて、ケンカしたり、投げ出したり。あんたら高校生かってくらい、青いし、熱いし。そんでもって、スタジオにはこれがないと、ってシャグが持ってきたもの。おいおい、それ、ラバーライトじゃん。アタシは、ラバーライトだけの照明が光るショットバーを開くのが夢なのよね。BGMはラップじゃなくて、ソウルだけどさ。一つ買ってみるかな、アタシも夢に近づけるかな。こりゃ、めっけもんの1本。未だに、Whoop That Trick!のフレーズが頭駆けめぐってる。

アオバズクと判明

2008-08-04 | 子育て&自然の生き物
フクロウと一口に言っても、一体何の種類なんじゃ~と
さんざんインターネットで調べた結果、
たぶん「アオバズク」ではないか、と言うことになりました(ホンマか)。

この子ね、EXILEの「CHU CHU TRAIN」みたいな動きするんですよ。
あの全員が縦に並んでぐるぐる回るやつ。
あれを首だけでするんです。
ぐるぐるぐるぐると、時計回りに。それがめちゃカワイイ。

最近はエサがもらえることがわかっていて、
カゴに近づくとバタバタと落ち着きがないったらありゃしない。

鳴き声は、ホーホーじゃないんですよ。
まるで鈴虫みたいに「リリリー、リリリー」と涼しげな声で鳴くの。
そのうち、ホーホーになるんだろうか…


ダンシング・ハバナ

2008-08-03 | 外国映画(た行)
★★★★☆ 2004年/アメリカ 監督/ガイ・ファーランド
「いい!いい!ディエゴ・ルナがいい!」


はい~。すっかりヤラれましたわ。久しぶりに胸をきゅぅ~んとさせられる男に出会えました。ありがたや、ありがたや。「天使の口、終りの楽園」でガエルと共演していたディエゴ・ルナ。ガエルくんがワイルド系なら、ディエゴくんはキュート系。「天使の口」のディエゴくんもいい感じでしたが、今作ではラテンダンスでセクシーぶりをいかんなく発揮。はあ、私もあと20歳若かったら…と本気に思わせてくれるほど、良かったです。(若くなっても、どーにもならんけど)

彼の魅力は目ですね。タレ目で人なつっこくて。熱気にむせかえるクラブ「ラ・ローザ・ネグラ」。ド迫力の生バンド。ハビエルの汗で濡れた肌。白いシャツに揺れるペンダント。うねる腰つき。こんな所で、あの目で見つめられたら、どんなオンナだって、オチます。私もラテンなイケメンと「ラ・ローザ・ネグラ」行きたいです!踊りたいです!なんか、かなり壊れてきたので、冷静に、冷静に。

えーっと、主演の女の子はなんて名前でしたっけね?何とかガライって子ですけど、フランソワ・オゾンの最新作に出てまして、自己中の女流作家を堂々と演じていますが、本作とは別人みたいです。私はほとんど、ディエゴくんしか目で追ってませんでしたが、映画としては出会いからラストのダンスに向けて、どんどん彼女が魅力的に変化していくのをしっかり見せられています。プロダンサーの夢を結婚によって諦めたとおぼしき母親との交流についてもう少し描いてくれたら物語にも厚みが出たのになあという気がしなくもありませんが、まあダンス映画はダンスシーンのできが良ければ良いほどいいわけでして、野暮なことは申しますまい。

あれだけ接近して情熱的なダンスを踊りながらふたりがなかなかキスしない、という焦らせ方も憎い。また、ありきたりなハッピーエンドでないのも、いい。キューバ革命という一大事も盛り込みながら、ただのダンス映画に終わらせない脚本もなかなか。と、その他適当に褒めておいて(笑)、とにもかくにもディエゴ・ルナを見よう!女子の皆さん。

ゴーヤーができてきました

2008-08-02 | 野菜作りと田舎の食
きゅうりと同じ日に植えているんだけどね、
不思議です。ゴーヤーの初収穫はきゅうりより約1ヶ月遅れ。
でも、どんどんできてきました。
片やあんなに採れていたきゅうりは、もはや先細り。
まあ、あまりの暑さで畑の手入れを怠っているのが原因かも知れないけど。

暑いし、草はぼうぼうだし、ぶとは飛んでるし、仕事は忙しいし。
ちょっと今畑が悲惨です。

でも、ミニトマトは2日に一回くらいの割合でこれくらいの量が採れます。

ミニトマト万歳!
我が家はこれを洗って、テーブルの上のお皿に盛っておくと、
みんながぱくぱくとおやつのように食べてあっと言う間になくなります。