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昨日 =9月3日の続きです
新木津川大橋を渡って ~ 大阪市住之江区へ入り ~ 大正区鶴町4丁目 ~ 千歳橋を渡って大正区北恩加島2丁目から 大正内港の “ はしけさん橋 ” へ向かう
はしけ桟橋
幅3m弱で、内港に突き出た約200mの桟橋です
シートをかけた船や
こんな船が両側にぎっしり泊まってる
向こうに青い千歳橋が見える
はしけ桟橋の突端まで来ました
向こうに千歳橋、橋の長さは 365m、海面からの高さ28m
赤い港大橋もなみはや大橋も見える
もう少し大きく撮れば
向こうに なみはや大橋、港大橋も、 そして中ほどの向こうには 住之江区の大阪府咲州庁舎も見えている
はしけ桟橋を後にして千歳橋を歩きに行く
橋の近くへカブを停めて、こんな階段を登ってゆく
橋の下には 大阪市の千歳渡船が通る、岸壁間は 371m
階段を登り切って橋の歩道へ着いた、白い雲に青い橋が映える
左手前、内港に突き出たのが はしけ桟橋 です
右端にあべのハルカス、左端後方に新世界の通天閣が見えている
北西を見れば 港区天保山の大観覧車、此花区のおとぎの国の煙突 も見えている
JR環状線・弁天町駅前の高いビルも見える
港大橋の下を働く船が通る、 左後方には大阪府咲州庁舎
逆光気味で出来の悪い写真ですが、千歳橋から撮った 新木津川大橋です
帰りもこの橋を渡って無事帰宅、
暑い暑い夏日だったけど、ワタクシの好きな風景を見せてもらって満足のひと時でした。
参考 ≪はしけ桟橋≫
大正中期から昭和初期、千島新田と泉尾新田(いずおしんでん)一帯に、運河・貯木場・水路の開削と道路・橋梁・宅地盛土などの開発工事が実施され、材木業者が誘致された。昭和7、8年(1932、1933年)頃には業者数約600戸の木材街が出現し、その木材市場は業界の一大中心地となった。昭和50年(1975年)に現在の原型となる「大正内港はしけ桟橋」が整備され、わずかにその面影をとどめている。貯木場の移転後に整備され多くの船舶が係留されている桟橋の姿は、港らしい景観を作り出している。・・・ 大阪市HP ⇛ 大正区の都市景観資源より
昨日 =9月3日の続きです
新木津川大橋を渡って ~ 大阪市住之江区へ入り ~ 大正区鶴町4丁目 ~ 千歳橋を渡って大正区北恩加島2丁目から 大正内港の “ はしけさん橋 ” へ向かう
はしけ桟橋
幅3m弱で、内港に突き出た約200mの桟橋です
シートをかけた船や
こんな船が両側にぎっしり泊まってる
向こうに青い千歳橋が見える
はしけ桟橋の突端まで来ました
向こうに千歳橋、橋の長さは 365m、海面からの高さ28m
赤い港大橋もなみはや大橋も見える
もう少し大きく撮れば
向こうに なみはや大橋、港大橋も、 そして中ほどの向こうには 住之江区の大阪府咲州庁舎も見えている
はしけ桟橋を後にして千歳橋を歩きに行く
橋の近くへカブを停めて、こんな階段を登ってゆく
橋の下には 大阪市の千歳渡船が通る、岸壁間は 371m
階段を登り切って橋の歩道へ着いた、白い雲に青い橋が映える
左手前、内港に突き出たのが はしけ桟橋 です
右端にあべのハルカス、左端後方に新世界の通天閣が見えている
北西を見れば 港区天保山の大観覧車、此花区のおとぎの国の煙突 も見えている
JR環状線・弁天町駅前の高いビルも見える
港大橋の下を働く船が通る、 左後方には大阪府咲州庁舎
逆光気味で出来の悪い写真ですが、千歳橋から撮った 新木津川大橋です
帰りもこの橋を渡って無事帰宅、
暑い暑い夏日だったけど、ワタクシの好きな風景を見せてもらって満足のひと時でした。
参考 ≪はしけ桟橋≫
大正中期から昭和初期、千島新田と泉尾新田(いずおしんでん)一帯に、運河・貯木場・水路の開削と道路・橋梁・宅地盛土などの開発工事が実施され、材木業者が誘致された。昭和7、8年(1932、1933年)頃には業者数約600戸の木材街が出現し、その木材市場は業界の一大中心地となった。昭和50年(1975年)に現在の原型となる「大正内港はしけ桟橋」が整備され、わずかにその面影をとどめている。貯木場の移転後に整備され多くの船舶が係留されている桟橋の姿は、港らしい景観を作り出している。・・・ 大阪市HP ⇛ 大正区の都市景観資源より
この大正区は沖縄から来た人たちが多かったようですね、だから沖縄の雰囲気が残ってるのでしょうか?
この日は鶴町商店街の前を通って行ったのですが、閑散としてました、時間なものもあるのでしょうが・・・
よっちんさんは食通のようですが、私は食べるものにこだわりは全くなくて、とりあえず何でも空腹を満たせばいいと言う感じです。
私はこのエリアに行くと
必ず沖縄料理を食べて帰ります。
お気に入りは「ソーキそば」ですわ。