.
昨日=4月26日の続きです
山頂から展望台へ戻り ~ 高野山町石道を少し歩きました。
展望台からちょっと先の町石道へ
町石道は慈尊院からかなりの坂道が続く
坂道を登ってゆくと
道沿いの斜面に白いツツジ、隣に大きな町石、高さは2m余ありそうだ
雑木林の中に埋もれてるように建ってるので、前回来た時には気が付かなかった
柿の木も風格を漂わせてるようだ
もう少し先には華やかに艶やかに咲くツツジ
ここにも背丈の高い町石
眼下には紀の川平野の景色がひろがる
昔の高野山参りの人々も、この辺りで一休みをしたのだろうか ?
50cm 程の石に、 「 左??? 右かうや 」 の文字が彫ってある
左端に町石道展望台のある山の頂上が見えている
後方右に霞んで見えるのは金剛山系だろう
山の斜面の大木の下にも町石
町石のある斜面はこんな石積み、土砂崩れ防止のために積んだのだろうか ?
町石道沿いの柿畑には 立派な風格を漂わせるような柿の木
もう少し町石道を歩いて引き返す
坂道を下ってきたら 「 町石道展望台 」 が見えてきた
春霞なのか? 黄砂なのか? スッキリしない眺めだったが、それでも納得できる町石道でした。
昨日=4月26日の続きです
山頂から展望台へ戻り ~ 高野山町石道を少し歩きました。
展望台からちょっと先の町石道へ
町石道は慈尊院からかなりの坂道が続く
坂道を登ってゆくと
道沿いの斜面に白いツツジ、隣に大きな町石、高さは2m余ありそうだ
雑木林の中に埋もれてるように建ってるので、前回来た時には気が付かなかった
柿の木も風格を漂わせてるようだ
もう少し先には華やかに艶やかに咲くツツジ
ここにも背丈の高い町石
眼下には紀の川平野の景色がひろがる
昔の高野山参りの人々も、この辺りで一休みをしたのだろうか ?
50cm 程の石に、 「 左??? 右かうや 」 の文字が彫ってある
左端に町石道展望台のある山の頂上が見えている
後方右に霞んで見えるのは金剛山系だろう
山の斜面の大木の下にも町石
町石のある斜面はこんな石積み、土砂崩れ防止のために積んだのだろうか ?
町石道沿いの柿畑には 立派な風格を漂わせるような柿の木
もう少し町石道を歩いて引き返す
坂道を下ってきたら 「 町石道展望台 」 が見えてきた
春霞なのか? 黄砂なのか? スッキリしない眺めだったが、それでも納得できる町石道でした。
町石道を歩く人も増えたようですね。
そういえば慈尊院も世界遺産でした。
慈尊院がある九度山は
「真田丸」が放映されているときは
賑わってましたよ。
以前、この展望台で出会った人と話をしてたら 「ここから高野山まで6時間程度」と言ってました。
昔の人たちは、健脚だったのか? 信仰心があったのか? よくこんな坂が続く道を高野山まで歩いたもんですねえ !
山岳信仰が盛んだった時代に
3000mを超える山の山頂に
修行僧が登っていたのは
驚愕としか言えませんわ。
登山道も無いし、地図も無い時代ですからねぇ。
今でも、白装束(死出の旅を意味するらしい)に身を包んで山の中を歩き続ける千日回峰行という、1000日間を歩き続けるすごい修行があるそうです。
険しい奥深い山の中を駆け巡ったといわれる役行者さんを目指しての修行なのでしょうか ??