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昨日=7月22日
芋谷の棚田からの帰りに大阪府/奈良県境の紀見峠へ向かう
芋谷の棚田・手掘りトンネルから先は通行止めのハイキングコースか棚田の里道しかないようである。
国道371号線へ戻るしかない、
しかし 入ってきた道はあまりにも狭くて嫌なので、集落の中から山の中を適当に進んだら旧国道の 紀見峠 へ出た。
紀見峠集落、現在の民家は10軒程度か?
最初に目に付いたのが 岡 潔先生の石碑
ふたつ並んだ立派なもの
ひとつは外国語でワタクシには判読できない
刻まれている似顔絵は解かるが・・・
もうひとつは日本語で、これならワタシでも読める
≪ 碑文の一部抜粋 ≫
数学史上最高の世界的数学者で先覚者
最初の橋本市名誉市民
1901年 紀見村出身 父 寛治 母 八重の長男として誕生 此処 紀見峠で育つ
1925年 京都帝国大学理学部数学科卒業と同時に同大学講師に就任
1929年 フランスに留学 生涯の研究テーマとなる 「多変数解析函数論」に出会う
後年 その分野において 世界中の数学者が解けなかった 「三大問題」を最後は紀見村で解決した。
〈 京都帝国大学のほか 広島文理科大学 北海道大学 奈良女子大学 京都産業大学で教鞭を執る 〉
石碑の向こうに見えるのは橋本林間田園都市だろうか?
旧国道の紀見峠
すぐ横にも 「紀見峠」
こちらの方が風情がありますネ
高野山六里道標石
高野山へ向かういくつかの街道で、最も古く、多く用いられたのが東高野街道である。 この街道は京都から八幡、枚方を経て、生駒山西麓を南下し、河内長野から紀見峠を越えて高野山に至るコースで、その成立は平安時代後期にまで遡ると言われている。その後、堺からの西高野街道、平野(大阪市)からの中高野街道がひらかれ、河内長野でこれらが合わさって高野山へ至る。なかでも、西高野街道は近世に大いに栄え、それを物語るかのように堺の大小路橋を起点に高野山女人堂まで一里毎に道標石が残る。これらは「南無大師遍照金剛」 の文字とともに、高野山女人堂までの里程が記され、高野参詣の人々はこれを見るたびに1里づつ近づく高野に思いを馳せたことであろう。・・・ 現地説明板より一部抜粋
こんなのもあったので、急坂の道を登ってゆく
墓地からの眺め
岡潔先生の墓を拝もうと思ったが、岡家の墓が数カ所あり、どれが 岡潔先生の墓か判らなかった
少し休憩して ~ 紀見峠から大阪府側へ下って 河内長野市を通り ~ 南河内グリーンロードへ出て ~ 河南町の道の駅 ~ 奈良県香芝市へ戻る
午後から降雨確立30%の予報だったが、雨にも遇わずに無事帰宅、暑い暑いツーリングのひと時でした。
昨日=7月22日
芋谷の棚田からの帰りに大阪府/奈良県境の紀見峠へ向かう
芋谷の棚田・手掘りトンネルから先は通行止めのハイキングコースか棚田の里道しかないようである。
国道371号線へ戻るしかない、
しかし 入ってきた道はあまりにも狭くて嫌なので、集落の中から山の中を適当に進んだら旧国道の 紀見峠 へ出た。
紀見峠集落、現在の民家は10軒程度か?
最初に目に付いたのが 岡 潔先生の石碑
ふたつ並んだ立派なもの
ひとつは外国語でワタクシには判読できない
刻まれている似顔絵は解かるが・・・
もうひとつは日本語で、これならワタシでも読める
≪ 碑文の一部抜粋 ≫
数学史上最高の世界的数学者で先覚者
最初の橋本市名誉市民
1901年 紀見村出身 父 寛治 母 八重の長男として誕生 此処 紀見峠で育つ
1925年 京都帝国大学理学部数学科卒業と同時に同大学講師に就任
1929年 フランスに留学 生涯の研究テーマとなる 「多変数解析函数論」に出会う
後年 その分野において 世界中の数学者が解けなかった 「三大問題」を最後は紀見村で解決した。
〈 京都帝国大学のほか 広島文理科大学 北海道大学 奈良女子大学 京都産業大学で教鞭を執る 〉
石碑の向こうに見えるのは橋本林間田園都市だろうか?
旧国道の紀見峠
すぐ横にも 「紀見峠」
こちらの方が風情がありますネ
高野山六里道標石
高野山へ向かういくつかの街道で、最も古く、多く用いられたのが東高野街道である。 この街道は京都から八幡、枚方を経て、生駒山西麓を南下し、河内長野から紀見峠を越えて高野山に至るコースで、その成立は平安時代後期にまで遡ると言われている。その後、堺からの西高野街道、平野(大阪市)からの中高野街道がひらかれ、河内長野でこれらが合わさって高野山へ至る。なかでも、西高野街道は近世に大いに栄え、それを物語るかのように堺の大小路橋を起点に高野山女人堂まで一里毎に道標石が残る。これらは「南無大師遍照金剛」 の文字とともに、高野山女人堂までの里程が記され、高野参詣の人々はこれを見るたびに1里づつ近づく高野に思いを馳せたことであろう。・・・ 現地説明板より一部抜粋
こんなのもあったので、急坂の道を登ってゆく
墓地からの眺め
岡潔先生の墓を拝もうと思ったが、岡家の墓が数カ所あり、どれが 岡潔先生の墓か判らなかった
少し休憩して ~ 紀見峠から大阪府側へ下って 河内長野市を通り ~ 南河内グリーンロードへ出て ~ 河南町の道の駅 ~ 奈良県香芝市へ戻る
午後から降雨確立30%の予報だったが、雨にも遇わずに無事帰宅、暑い暑いツーリングのひと時でした。
数学の基となる自然数を大和言葉の【 ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と 】からの送りモノとして眺めると、
[幻のマスキングテープ]から、 【 奇数を先にして 偶数を後にせよ 】 とのコト、これは岡潔の大和魂(光明)なのかも・・・
岡清先生は世界的数学者らしいけど、ワタクシにはさっぱり分かりません。
凡人にはナンニモわからないほど凄いのだろう、とにかくすごく偉い先生なのだろう、ということしかわかりません。
コメントのしようが無いほど偉いのでしょうね、スミマセン。