宇宙・生命・日本 1000年後のあなたに語りかけたい

巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

宇宙は有限とするビッグバンのナンセンス

2009年06月07日 19時50分09秒 | 宇宙

 ハッブル望遠鏡がビッグバン宇宙の謎を解くためとするのは、予算獲得のための作文である。何度も指摘しているように、我々が観察できる宇宙は全体のわずか4%かそこらにすぎず、宇宙が大爆発した根拠がは全ての天体が遠ざかっているからとしながら、どこで爆発したかを示せないし、ビッグバンの最大の拠り所となる可逆的な時間的空間などどこにも存在しない。

 科学は再現できることしか扱えない。ところが、殆どその実体が観察できていない宇宙に関して、ビッグバンなどというものすごく大胆な論理を組み立てて、さも定説のように発表してしまう。科学の天才達の説にしてはあまりにもお粗末すぎて、話にならない。

 そもそも、ビッグバンの根拠となったのは、全ての天体の電磁波が赤外線側に振れており、ドップラー効果により遠ざかっているとみなせるというものだ。もし、全ての天体が地球にいる我々から遠ざかるのであれば、ビッグバンは地球付近で起きたことになる。加えて、過去の観察データを集計すれば、高校生でさえどこが爆発地点であったかは簡単に計算できる。しかるに、この簡単な推定がなされたことがない。

 もし、アインシュタインの言うような、空間的な時間が有ったとしたら、時間は可逆性になる。つまり、DVD映像を反転させたように、絨毯の上にぶちまけた水は空中を飛んでお盆の上のコップに戻る。それだけでない。宇宙の膨張がある時 反転しはじめ、全ての宇宙の天体は1点に向かって移動し、やがては目にも見えない量子大に凝縮するのだ。

 量子理論が発達したことは、無から有を生むと言う根拠を見いだせないでいたビッグバン支持者にとっては天からの救いだったに違いない。物質の元をなす、量子と宇宙を結びつける、荒唐無稽なつぎはぎ理論が生まれることとなった。

 ビッグバン理論は、確認不可能な単なる仮説にすぎないが、何故、否定されないかと言うと、アインシュタインをはじめとした数学や物理の天才達がありとあらゆる物理や数学の理論、観察結果を継ぎ足して理論武装しているからだ。例えば、相対性理論一つをとってもこれを理解すること事態が容易ではない。ましてや、ひも理論などに至っては、日本で何人が分かっているのか。

 ビッグバンの心臓部は数学である。数学で扱えるのは極めて単純であるか、理想的な物理現象などに限定されてい。化学、生物の分野ではほとんど通用しない。数学では無限大の表現∞は持つものの、事実上無限大を扱うことが出来ない。

 つまり、数学的世界と無限大は全く相反するところにある。一方で、ビッグバンの本来意味する単純な爆発拡散は、秩序を規定しておらず、宇宙の形成条件を満たしていない。秩序の本質の一つは循環性である。

 電子が核のまわりを循環し、衛星が恒星の周りを循環し、凝縮と分裂が循環する世界が宇宙であると言うべきだろう。秩序こそが生命と進化した人間を作り出した。宇宙が有限とするのは、無理やり宇宙を数学的に表現しようとするための暴論である。有限とは単に、無限宇宙の一部を示すに過ぎない。 


裁判所は無茶苦茶・菅家利和さんに思う

2009年06月07日 18時55分51秒 | 思考空間

 足利事件で弁護側がDNAの不一致を申し立てたのに対して、最高裁判所は確認することも無く5人全員一致で上告を棄却したために、菅家利和さんは17年半も刑務所で拘束されることとなった。また、当時地域で起きていた5件の幼女殺害などの事件が全て未解決となったばかりか、殆どが時効となった。

 何故、このようなことが起きるのか。一つは足利事件が日本で最初のDNAを証拠とした判例であり、その後に続くDNA鑑定を根拠とする判決、および裁判所の権威を守るためであった。一度下された判決がひっくり返ることはまず例外と言っても良い。裁判官は、事実がどうであるかはどうでも良いことなのだ。それが証拠に、当時の最高裁の判事は反省するどころか、当時としては極めて正しい判断をしたと述べている。

 裁判所は国や権力者を守るべく相当偏向しており、結論が先にあって、論拠は結論を導くための単なる言い訳に過ぎない。私が経験した裁判でも相手がNTTだったために、裁判はNTTの利益を守るための結論が先にあり、数々の矛盾点を指摘しても、全くそのことには触れず、裁判官がNTT側が主張してもいない論理を付けたし、一方的な判決を下したのである。

 NTTは月額5,700円のレンタルサーバー料金に関して、20万円以上を要求してきた。誰でも驚くだろう。内容が分からないから明細書を要求し、明細書が出されたら払うと文書で回答しているのに、強引に裁判にかけてきた。一審の簡易裁判所の判決文には、明細書を出さなければならないという法律は無いと書いてある。

 それでは、NTTは契約前の説明で、多額の課金を請求する場合が有ると説明していない件、顧客のリスクを軽減する措置が取られていない点、とても読んで理解することが出来ないような約款(膨大なだけでなくいくら読んでも分からない)、肝心なところの誤字脱字などなど・・何故、全く無視できるのか。

 つまり、NTTと裁判で戦おうとしたら、NTT側の弁護士が戦う相手ではなく、裁判官が相手になるのだ。NTTはとにかく裁判に持ち込めば一審が勝てる。一審に勝てば、自動的に二審でも三審でも勝てる。三審では弁護士を立てたが、高裁から却下されてしまった。

 その後、NTTには24万円なにがしを払い、分からない点を質問をした。しかし、裁判で済んだこととして一向に返事がない。質問の概略はこうだ「明細書を出したら払うと伝えたにも拘らず、何故、明細書を出さず裁判にかけたのか?」、「NTTはメーカーや業者に対して請求内容が理解できない場合でも支払いをするのか?」。

 通常、メーカーや業者がNTTに請求書を出して、NTTの担当者が理解できないと言った場合には、メーカーや業者は完璧な明細書を提出し、中小企業なら社長が飛んできて、平身低頭した上で、夜の接待で機嫌を取る。NTTが請求内容が分からないと言えば、通常は飲ませろというサインだ。要はNTTは顧客を顧客とも思っていないのだ。

 裁判が暴走しても、裁判所が平気でいられるのは、衆議院選挙の最高裁判事の審判で自動的に信任されてしまうからだ。こうして、事実上やりたい放題の最高裁判事が全裁判所の人事権を握っている。これでは、公正な裁判などは望むべきも無い。