Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

額縁ジャズ

2018-12-20 09:57:58 | ジャズ
大ホールで小曽根真のトリオ

ずっとジャズは居酒屋みたいなところで演奏されてきた.食器のガチャガチャいう音,食べ物や酒やタバコや脂粉の匂いと共存してきた.ある客は演奏に茶々を入れたし,ある客は音楽とは関係なくおしゃべりを続けた.

大ホールは街の騒音から隔離されている.そればかりか演奏者と観客も,ステージと客席という空間に固定され,平面で分離されている.このような環境のジャズ,額縁ジャズは,クラシック鑑賞からの輸入で,これを一般化させたのはモダン・ジャズ・カルテットだろう.
MJQ 初来日時の公演批評で,音楽はともかく4人のタキシード姿は猿芝居だ...と書かれたのを覚えている.

MJQ がたまたま口火を切ったというだけのことで,大量に観客を動員できるから,額縁ジャズは必然の結果だったと思う.
さらにテレビは額縁で,情報は送り手から受け手への一方通行だ.テレビが普及しテレビになれると,額縁音楽・額縁公演も当たり前に思えるようになった.
1960 年代の労音は歌謡曲も演芸も,何もかも大ホールに持ち出した.(先代) 小さん一門会というのを名古屋のどこかの大ホールで聞いたことがあるが,流石につまらなかった...しかし関西ではホール落語がふつうらしい.

PA も額縁ジャズでは問題で,最初の MJQ 公演ではベースの前にマイクが1本立っていただけだそうだ.その後の MJQ では大量の機材がステージの両端を占拠した時代があった.晩年のノバホールの MJQ は PA を一切放擲してしまっていた.このジャケのイラストと同じで,ベースの生音にしびれてパーシー・ヒースのファンになった.

あれから数十年,この度の小曽根真のトリオの額縁ジャズはそれなりに進化していた.演奏者は普段着.S 席では PA の存在を意識させない.MC はくだけたものだったし,アンコールでは観客も参加.照明も美しい...ただし照明にもシナリオと演出が必要で,そうなるとジャズという即興演奏の即興性と矛盾する部分はありそうだ.
アンコールの前に何度か出演者が出てきてお辞儀をして引っ込むというセレモニー (小曽根氏が MC で,このクラシックの習慣を皮肉っていた) がないのも良い.ホールの天井灯が点いたら,これでおしまい・帰ってくださいということなのね.
コメント
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