【注目の人 直撃インタビュー】:ゴールデン街の写真集を上梓 佐々木美智子さんが抱く懸念
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【注目の人 直撃インタビュー】:ゴールデン街の写真集を上梓 佐々木美智子さんが抱く懸念
新宿ゴールデン街の成り立ちをご存じだろうか。戦後の闇市に2階建てのバラックが立ち並び、そこに非公認の売春街「青線」が誕生した。1957年に売春防止法が施行され青線は廃止。空き家となった売春宿が飲食店に替わり、現在に至る。作家や編集者、映画監督、俳優などが集まったこの街に半世紀前の68年、バー「むささび」を開き、今は「ひしょう」を営む84歳のママには写真家という一面もある。原田芳雄や浅川マキなど交友のあった人々の写真と文で構成された「新宿 ゴールデン街のひとびと」(七月堂)をこのほど上梓。ゴールデン街から見える今の社会を聞いた。
佐々木美智子さん(C)日刊ゲンダイ
――半世紀前に始めた「むささび」は3年で閉店。その後、スペインやブラジル、伊豆諸島の大島などでの生活を経て、4年前にゴールデン街で「ひしょう」を始めた経緯を教えてください。
生まれ故郷の北海道から東京に出てきて、日大全共闘にのめり込んだんですよ。34歳の時です。運動に参加していた学生が集まるところもなかったから1968年に「むささび」を始めました。でも70年安保闘争が終わって、ひとつの区切りを迎えたので、お店を閉めることにしたんですよ。継いだのが長谷百合子さん。その後、1990年の総選挙で旧日本社会党から立候補して、「マドンナブーム」に乗って当選した人です。長谷さんはむささびが飛ぶという意味を込めて「ひしょう(飛翔)」という店名にした。長谷さんは衆議院議員を1期務めただけだったけれど、その後も「ひしょう」を続けました。そのうちお店に出続ける体調ではなくなってきたということで、私に連絡があった。それで私が「ひしょう」を継いだのです。
――一周回って元に戻ったということですね。久しぶりのゴールデン街はどうですか。
外国人ばかり。すっかり観光地になっちゃったわね。でも先日、面白いことがあったのよ。98歳の老婦人がお見えになって、「東京在住の函館出身者の会があるから出席してくれ」とおっしゃった。私は根室で生まれたけれど、19歳で結婚して当時の旦那の実家があった函館で働いた。縁があるから出席したんですよ。その会合に東京都知事の小池百合子さんが来た。老婦人の親戚らしいの。そこで都知事に直談判しました。「2020年の五輪が終わってもゴールデン街は残して下さいね」ってね。
佐々木さんが撮った俳優の原田芳雄さん(右)と歌手の浅川マキさん(「新宿 ゴールデン街のひとびと」から)
◆外国人客で賑わっても人間関係は生まれない
――ゴールデン街がなくなるなんて話があるんですか。
あり得ると思っています。事実、前の五輪の時にゴールデン街は姿を変えました。売春防止法が施行された後、東京で五輪があるということになって、このあたりで働いていた人はどんどん追い出された。五輪は戦後の高度成長を体現したイベントという光の部分ばかりが強調されるけれど、陰もあったんですよ。
――もう少し詳しく教えてください。
ゴールデン街は闇市の跡に立った間口が2~3メートルくらいのバラックが林立したところ。そこで非公認の売春が行われていた。このバラックはそれぞれ別個に立っているけれど、3階がつながっているという不思議な構造だったのね。そこで警察の手入れが始まると売春婦もお客も3階に上がって、端っこの店まで逃げたもんです。そんなことをして生活の糧を得ていた人たちは、みんな人柄が良かったけれど、いなくなった。
――五輪の開催には反対ということですか。
誤解がないように言っておきたいのだけれど、スポーツは好きです。精神がすばらしい。でも五輪というイベントを契機に、社会的弱者を排除しようとしている気がしてならない。それで都知事に直談判をしたのです。それに五輪には莫大なおカネがかかるでしょ。もっとおカネを使うべき先はあると思う。
――訪日外国人が増えて、ゴールデン街は今や人気スポット。なくなるなんてことがあるんですかね。
確かに今のゴールデン街は外国人で賑わっています。でも東日本大震災の時に外国人はパッといなくなりました。再び天災があったり、有事があったりすれば、同じことが起きるでしょう。いまは人気スポットかもしれないけれど、あっという間に寂れちゃうわよ。そもそもゴールデン街の建物なんて違法建築だらけでしょ。サッカーコートよりも少し狭いぐらいの区画だし、取り壊して再開発するなんてことが起きる可能性はいくらでもある。むささびには全共闘の人間や役者、フリーライターなんかがやって来た。1本のボトルを何人かで入れて、それをみんなで飲んで。そんなところで隣に座った見知らぬ人との話が始まって、そのうち打ち解けて……。そういう雰囲気がゴールデン街の良さだった。今、ここには訪日外国人がたくさんやって来るけれど、物珍しい風情の一角を見て楽しむために来るのであって、そこから新しい人間関係ができるとは考えにくい。
■アップは「本当の顔が見える」
――今、「ひしょう」にはどんなお客さんが来るんですか。
むささびに通っていた人が懐かしくて来たり、長谷さんがやっていた頃のひしょうのお客さんが来たり。長谷さんは若いダンサーや絵描きの女の子を働かせていたのよ。彼女たちに会いたくてやって来たものの、店の雰囲気が一変しているからびっくりして。それでも常連になった人もいる。面白いのは長谷さんのひしょうにやって来る人は、セクトの話をしがち。一方、むささびにやって来ていたお客は「俺たちは自由だったな」なんて話している。同じ学生運動をやっていても思い出が違うのね。
――上梓された「新宿 ゴールデン街のひとびと」はそうしたお客さんの顔を写真に収め、その人にまつわるエピソードを佐々木さんが寄せています。
私はむささびを開く前に日活撮影所で編集の仕事をしていました。その時の仲間とか、作家の船戸与一とか舞踏家の麿赤兒……。約300人の顔を写し、思い出を書きました。それに若松孝二と一緒にパレスチナに渡り、日本赤軍に合流して逮捕された足立正生、写真家の森山大道、ピアニストの山下洋輔なんかがコメントを寄せている。そんな構成です。
――写真はほとんど顔のドアップですね。なぜそういうアングルなんですか。
本当の顔が見えるから。人が写真を見るときの視線って、ついメガネや髪形にいってしまうもの。アップにすることで、その人の本当の顔を写真に切り取るんです。それを現像すると「ああ、この人は恋をしているな」とか「表情には出さないけれど、心の内に悲しみを抱えているな」なんてことがわかる。あの本を出してからもお客さんの顔を撮り続けていますよ。もう200人くらいになったかしら。それをまとめてまた一冊にしようと思っています。
(聞き手=ジャーナリスト・秋場大輔)
▽ささき・みちこ 1934年、北海道根室市生まれ。22歳で上京し、現在の新宿・伊勢丹の裏通りでおでんの屋台を始める。その後、写真専門学校を卒業し、日大全共闘のバリケードの内側やゴールデン街「むささび」、歌舞伎町「ゴールデンゲート」の酒場で写真を撮り続けた。現在はゴールデン街の「ひしょう」でシャッターを切っている。
元稿:日刊ゲンダイ 主要ニュース 政治・経済 【政治ニュース】 2018年10月09日 06:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。