【社説】:揺らぐ「法の支配」 権利と自由が侵害される
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説】:揺らぐ「法の支配」 権利と自由が侵害される
秋の臨時国会。菅義偉首相が何度も繰り返した答弁がある。
「内閣法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方である」―。日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命を、菅首相が拒否した問題だ。
首相の任命権は「形式的にすぎない」とされていた。今回問われたのは、首相が推薦を拒否できるのかという点だった。
菅首相は「必ず推薦通りに任命しなければならないわけではない」と述べた。「錦の御旗」にしたのが内閣法制局の見解だ。
内閣を法制面で補佐する法制局。憲法や法律に基づいた見解や答弁を政府は尊重し、それが法律の安定性をもたらしてきた。
法制局は独立性を求められながら、憲法上の規定がなく、制度上「内閣の下部組織」という矛盾を抱える。機能してきたのは、歴代内閣に「法の支配」には従うという前提があったからだろう。
それが崩れたのが2013年の法制局長人事だった。安倍晋三政権が集団的自衛権を巡り、憲法解釈の見直しに前向きな人物を法制局長官に起用。解釈を変更した上で安保法制を成立させた。
以来、7年。人事権に介入された法制局は独立性を維持できにくくなっているのに、その「権威」だけが政府に利用されていないか。今年は「法の支配」の揺らぎが問われ続けた1年だった。
<法制局が後押し役>
今回の法制局の見解は1983年の国会答弁と矛盾する。
会員を公選制から任命制に変えた改正日本学術会議法の国会審議で、当時の中曽根康弘首相は「形式的な任命」と答弁。任命拒否が起きない保証を求めた野党に対し、政府は「内閣法制局と十分に詰めた」として法解釈上、拒否はあり得ないと説明していた。
菅首相らは今回、「40年前の答弁の趣旨は分からない」と述べ、法制局もそれを追認した。
法解釈を事実上、変更したのは明白なのに「当時から一貫した法解釈」と強弁する内閣。法の運用を自在に変え、押し通す背景には「法の支配」を軽視する姿勢が垣間見える。
春の通常国会では、当時の安倍政権が黒川弘務東京高検検事長(当時)の定年を延ばすため、検察官の定年延長はできないとしてきた従来の法解釈を変更した。
安倍氏に近いとされる黒川氏を検事総長に据えるための定年延長だった、との指摘が根強い。
この解釈変更の過程ははっきりしない。定年延長を閣議決定した1月末以前に内閣法制局や人事院と解釈変更を調整したことになっているのに、関連文書には日付が未記入だった。
検察は、政権の中枢にいる政治家も捜査対象にできる。その人事を巡る法律の解釈を閣議決定だけで変更できるのなら、「法の支配」が根底から崩される。
<多数派が「正義」か>
学術会議や検察官の問題は、専門家から法解釈の違法性を指摘する意見が相次いだ。政府に異議を申し立てない法制局は、下部組織として内閣の意向を無視できなくなっている懸念が拭えない。
憲法学者の芦部信喜氏(23~99年)は、「法の支配」を「権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理」と定義した。
国会で時間をかけて法案を審議して少数派の意見を採り入れた法律を制定し、政府は法に従い統治することが民主主義の基本だ。
第2次安倍政権の発足後、政府は選挙で得た多数を「正義」として、「法の支配」をないがしろにすることをいとわなかった。
野党が憲法53条に基づいて要求した臨時国会の開催要求すら政府が事実上、無視することが続いている。「法の支配」が揺らぎ続けると「国民の権利・自由」が侵害されかねない。
<「信頼」前提なのに>
法的に政府の独走を制御できる防波堤は、裁判所の違憲審査権があるものの、問題が起きてから判決まで時間がかかる。
横浜国立大学の君塚正臣教授は法制局を改組して内閣から独立させて、法案などを事前に審査する機関をつくることも一つの解決策になると提案する。
専門性の高い人を集め、内閣が指名し国会が承認する。それによって時の内閣の恣意(しい)的な法解釈を防ぐ狙いだ。
君塚教授は「独立行政機関として法的根拠を与え、中立性を担保する。事前審査における勧告までなら、司法権も行政権も侵害せず合憲だ」と説明する。
本来は与党にも政府の行きすぎを止める役割があるはずだ。それなのに、小選挙区制の導入以降、公認権などを背景に首相の権力が強まった影響などで、内閣の追認機関になっていないか。
現在の制度は政治家が「法の支配」を覆すことはしない、という最低限の「信頼」を前提にしたものといえる。それすら通用しなくなるのなら、「法の支配」を保てるよう制度を変える必要がある。
元稿:信濃毎日新聞社 朝刊 ニュースセレクト 社説・解説・コラム 【社説】 2020年12月31日 09:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。