【小社会・12.17】:「ふてほど」表現
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【小社会・12.17】:「ふてほど」表現
「笑点」でおなじみだった、くしゃっとした笑顔。10年以上前、桂歌丸さんに話を伺う機会があった。テレビではいじられ役を演じつつ、古典落語の再興にも熱心な方だった。
ただ、古い噺(はなし)には古い時代が映り込む。ジェンダーへの配慮など、現代風にどう手を加えますか? すると、せんす片手にぴしゃり。「昭和の名人上手と呼ばれた方々の噺に、差別表現や古くさい言葉は一切ないね」
そんな師匠のせりふを、過日の県議会で思い出した。知事が6月の会合で、特定利用港湾の指定に反対する県議を「抵抗勢力」と評したという。難詰された知事は「言葉だけを切り取ると、不快に思われた方もおられると思う」。
「切り取り」は近年、批判を受けた為政者が反論で好む言葉だ。こう訴えると、問題を報じた側が逆に炎上することも多い。今回もそうだろうか。「あいくち」といい、「選挙は殺さなきゃ殺される」といい。昨年の改選あたりから、苛烈な内面が透ける表現が散見される。
歌丸さんは、崎陽軒をこよなく愛した横浜っ子。戦時下の国策落語を「落語だか修身だか分かんない」と評した戦争嫌いでもあった。筆者にも粋な言葉を残している。
「あたしはね、落語をやってるんじゃない。お客さまにやらしてもらってるんです」。政策なんて賛否が分かれて当たり前。県民の代表をやらせてもらっている立場を思えば、「ふてほど」表現もほどほどに。
元稿:高知新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【小社会】 2024年12月17日 05:00:00 これは参考資料です。転載等は各自で判断下さい。
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