オスプレイの強行配備を批判する琉球新報・沖縄タイムス・東京新聞の社説を読んで、比較的というか、まともな見解を表明しているこれらの社説が、何故日米軍事同盟廃棄の課題に正面から取り組まないのか、考えてみた。
以下三社の社説を読むと、その謎が判る。それは「抑止力」を否定しながら、日米安保、日米軍事同盟の「抑止力」論の枠内で論じていることだ。代表的な表現はこれだ。
「基地提供は日米安全保障条約に基づく日本側の義務だ」(東京)
「日本は米軍に安全保障をゆだねている」(沖縄タイムス)
それに対して、琉球新報は少し違っている。以下あげてみる。
「基地は県民に利益をもたらす以上に、県民の安全や経済発展の阻害要因となっている。沖縄は基地跡地を平和産業や交流の拠点に転換する構想を描き歩み始めている。普天間飛行場の一日も早い閉鎖・撤去を求める県民の決意は揺るがない。オスプレイの配備強行により、県民の心は基地全面閉鎖、ひいては日米関係の根本的見直しという方向に向かうかもしれない」(琉球新報)と、日米軍事同盟の廃棄を予告している。これは強行配備に対する「脅し」的意味もあるだろう。
だが、その「琉球新報」も、
「『抑止力』。県民は、日米両政府が在沖米軍の駐留意義、普天間飛行場の県内移設の理由として語るこの言葉を耳にたこができるほど聞いてきた」「それではどの地域のための抑止力か」と問いかけながら、「沖縄に過重負担を強いる「構造的差別」を維持するための詭弁としかいいようがない」(琉球新報)と、沖縄に拘っているのだ。だが、「配備強行は沖縄に過重負担を強いる構造的差別を深刻化させる。県民はこれ以上、差別的扱いを甘受できない」(琉球新報)ということからすると、ムリもない。だが、しかし、だ。
このことは、「基地提供は日米安全保障条約に基づく日本側の義務だが、一地域に過重な負担を強いることは、安保体制の円滑な運営にいずれ深刻な支障をもたらすだろう」(東京)、「日本は米軍に安全保障をゆだねている。沖縄の犠牲の上に、日本の安全が保たれていると言っても過言ではない」(沖縄タイムス)、「日本のように安保条約に基づいて外国の軍隊(米軍)を常駐させている国の場合、その地域の自治体、住民と米軍がどのような関係を切り結ぶかは、安全保障政策の重要な要素となる。沖縄の『犠牲の構造』を改めることを前提にして、これからの安全保障政策を構想すべきである。破たんした負担軽減策に代わる新たな政策が必要だ」(沖縄タイムス)という視点と同じだ。
だが、ここで敢えて強調しておかなければならないことがある。日米軍事同盟は沖縄に計り知れないほどの犠牲を強制してきた。これは本土の人間には想像を絶することだ。だが、程度の差はあるものの、この同盟は日本国民全体に対しても同じような苦しみを与えてきたことも事実ではないのか。沖縄と本土の区別と関連を言っているのだ。
そもそも、日米軍事同盟そのものが、かつてのソ連、現在の中国、北朝鮮の「脅威」に対する「抑止力」として存在している。そのために沖縄を含めた日本全土を米軍基地として自由勝手に使用できるものとして存在しているのだ。ベトナム戦争然り。「海兵隊は機動的に展開する部隊である。アフガニスタンやイラクに配備され、沖縄を空けることも多かった。沖縄駐留が抑止力となっているかどうか疑わしい」(東京)とまで言い切っている。
その一貫として今回のオスプレイの強行配備が行われているのだ。「米国防長官も『世界一危険』だと認めて」ている「普天間の県外・国外移設」をしたとしても、沖縄の米軍基地の危険がなくなるわけではない。その意味で「沖縄の負担軽減」は幻ではないだろうか。
「自国民の生命を守るのが最大の責務であるはずの政府が日米同盟重視の名目の下で県民の訴えに背を向ける」「尖閣諸島をめぐる日中対立や、中国の軍備増強が顕著なだけに、オスプレイ配備やむなし、の声が本土にあるのは確かだ。だが、この種の、政府や一部全国メディアの主張は、あまりにも一面的」(沖縄タイムス)などという認識がありながら、「抑止力」論を前提とした日米軍事同盟の枠外に身をおくことをしないのだ。
沖縄の二大紙という存在と立場から考えれば当然のことだろう。しかし、この視点だけでは解決できないことは、もはや明らかではないだろうか。「沖縄の民意」は「一つ」になって、全国に諸悪の権化である日米軍事同盟の廃棄を宣言すべきではないだろうか?「本来、政府の不作為をただすべき政党も米国の顔色だけを伺う」(沖縄タイムス)などと事実と異なることを述べているのではなく、日米軍事同盟廃棄を掲げる政党・諸団体と一致して「力」を強化していく必要があるのではないだろうか?
「日米両政府による民主主義の破壊、人権蹂躙にほかならない。配備強行は植民地政策を想起させる蛮行であり、良識ある市民とメディア、国際世論の力で速やかに止める必要がある…県民は沖縄に公平公正な民主主義が適用されるまであらゆる合法的手段で挑戦を続けるだろう。日米は人間としての尊厳をかけた県民の行動は非暴力的であっても決して無抵抗ではないと知るべき」(琉球新報)というのであれば、「植民地政策を想起させる蛮行」の権化である日米軍事同盟を「合法的手段」「非暴力的」手段によって根本的に解決する道を「脅し」ではなく提起すべきではないだろうか。
確かに、多くの国民・県民の一致点としての「県外・国外移設」という視点は理解できる。また「特定の政党と組むのか」などの批判・攻撃もあるだろう。だが、しかし、基地の弊害をこれほど強調し、日米政府を批判しているのだ。基地政策の温存を許していたのでは、県民の命と財産は守れない。基地撤去を実現しない限り、沖縄県民の負担解消は実現できないのも事実だろう。また「県外」、すなわち危険のたらい回しとしての本土への移設を実現したとしても、移設された地域の危険がなくなるわけでもない。むしろ危険の拡散・拡大となる。
だからこそ、危険の根本的解決への道を模索するしかない。それは国民の「声」と「力」しかない。「力」とは何か。意見表明権としての集会・デモなど、目に見える活動という「力」によって国会議員に大きな影響を与えるようししなければならない。日米軍事同盟の廃棄を掲げなければ、次の選挙は落選するという国民的世論を全国各地で、いかにしてつくるか。古い既成の枠組みを否定するためには、新しい想像力が必要だ。日米軍事同盟廃棄を打ち出すことで、また、その勢力との連携によって、日本国民の世論を大きく変えていく「勇気」こそ、沖縄のマスメディア・マスコミに求められているのではないだろうか。
そうしてはじめて日米安保条約第10条使って廃棄を通告できる国会、乃至政府をつくることができるのだ。その世論を形成するうえで大きな「力」、それは日本のマスメディア・マスコミだろう。
「オスプレイ 沖縄に配備する暴挙」という社説で意見を掲げるのであれば、またこの問題は「沖縄県民だけの問題ではない。日本国民全体が傍観せず、自らの問題として考えるべきである」(東京)というのであれば、日米軍事同盟廃棄の課題も「自らの問題として考えるべき」ではないだろうか。
以下社説を掲載しておこう。
琉球新報社説 オスプレイ飛来 恐怖と差別強いる暴挙/日米は民主主義を壊すな2012年10月2日
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ6機が1日、一時駐機していた米軍岩国基地(山口県)から普天間飛行場に移動、配備された。県民の総意を無視した暴挙に強い憤りを覚える。 オスプレイ配備への怒りを県民総意として共有した「9・9県民大会」から3週間。仲井真弘多知事や大会実行委員会の代表、抗議行動に集う老若男女は繰り返し配備に異議を唱えているが、日米両政府は「理解してほしい」とし思考停止状態にある。言語道断だ。
植民地政策
わたしたちが目の当たりにしているのは、日米両政府による民主主義の破壊、人権蹂躙(じゅうりん)にほかならない。配備強行は植民地政策を想起させる蛮行であり、良識ある市民とメディア、国際世論の力で速やかに止める必要がある。 オスプレイは試作段階で30人が死亡したが、米政府は量産を決めイラクなどに実戦投入した。しかし4月にモロッコ、6月には米フロリダ州で墜落事故を起こし計9人が死傷。海兵隊のMV22オスプレイに限っても2006年以降30件以上の事故を起こしている。県民は事故の絶えないオスプレイが県内に配備されることを人命、人権の脅威と認識している。 しかし両政府は過去の事故原因を「人為的なミス」と結論付け、機体の構造に問題はないとの「安全宣言」を行った。県民は宣言が、構造上の欠陥を指摘する米側専門家の証言などを切り捨てた、虚飾にまみれた調査報告に基づいてなされていることを知っている。 県知事と県議会、県内41市町村の全首長と全議会がオスプレイ配備に明確に反対している。琉球新報社の世論調査では回答者の9割が普天間への配備に反対した。 仲井真知事が強行配備について「自分の頭に落ちるかもしれないものを誰が分かりましたと言えますか。県民の不安が払拭(ふっしょく)されない中で(移動を)強行するのは理解を超えた話だ」と批判したのは、県民の声を的確に代弁している。 森本敏防衛相は「普天間飛行場の固定化防止と沖縄の基地負担軽減について県知事、関係市長と話し合う次のステージに進むと思う」と臆面もなく語るが、県民の多くはそもそも海兵隊が沖縄の安全に貢献してきたとは考えていない。むしろ戦後、基地から派生する事件・事故や犯罪によって県民の安全を日常的に脅かしており、沖縄からの海兵隊撤退を望んでいる。県議会も海兵隊の大幅削減を過去に決議している。
非暴力的な抵抗
オスプレイが沖縄本島やその周辺で墜落事故を起こせば大惨事になる可能性が大きい。オスプレイ配備は在沖海兵隊基地の永久固定化の可能性も高める。配備強行は沖縄に過重負担を強いる構造的差別を深刻化させる。県民はこれ以上、差別的扱いを甘受できない。 日本政府は例えば原発事故に苦しみ、放射線被害におびえる福島県民に対し、原発を押し付けることができるだろうか。できないはずだ。基地に十分苦しみ、「欠陥機」墜落の恐怖にさらされている沖縄県民にオスプレイを押し付けることも明らかに不当である。 日米は沖縄を植民地扱いし、強権を駆使して抵抗の無力化を図ったり県民世論の分断を試みたりするだろう。だが県民は日米の常とう手段を知っており惑わされない。 基地は県民に利益をもたらす以上に、県民の安全や経済発展の阻害要因となっている。沖縄は基地跡地を平和産業や交流の拠点に転換する構想を描き歩み始めている。 普天間飛行場の一日も早い閉鎖・撤去を求める県民の決意は揺るがない。オスプレイの配備強行により、県民の心は基地全面閉鎖、ひいては日米関係の根本的見直しという方向に向かうかもしれない。 県民は沖縄に公平公正な民主主義が適用されるまであらゆる合法的手段で挑戦を続けるだろう。日米は人間としての尊厳をかけた県民の行動は非暴力的であっても決して無抵抗ではないと知るべきだ。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197577-storytopic-11.html
琉球新報社説 オスプレイ抑止力 構造的差別維持する詭弁だ2012年10月3日
「抑止力」。県民は、日米両政府が在沖米軍の駐留意義、普天間飛行場の県内移設の理由として語るこの言葉を耳にたこができるほど聞いてきた。最近は垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間配備の必要性を説く時、しきりにささやかれる。 オスプレイが抑止するものとは何だろう。尖閣諸島での日中関係悪化でオスプレイ配備が必要だとの声も聞かれる。上陸者を排除するため、米海兵隊がオスプレイを飛ばして島に兵士を降ろすというのだろうか。大いに疑問だ。
森本敏防衛相も否定している。尖閣諸島の治安維持は第一義的に海上保安庁、警察が担い、対応できない場合は自衛隊の海上警備行動という手順になると説明し「直接、尖閣諸島の安全というようなものに米軍がすぐに活動するような状態にはない」と明言する。 それではどの地域のための抑止力か。防衛省が昨年5月に作成した冊子「在日米軍・海兵隊の意義及び役割」には「沖縄は米本土やハワイ、グアムに比べ朝鮮半島や台湾海峡といった潜在的紛争地域に近い(近すぎない)位置にある」と記している。朝鮮半島や台湾海峡という潜在的紛争地域への対処のようだ。しかしこの「近い」、「近すぎない」が意味不明だ。 県の質問に対して防衛省は「九州、本州に海兵隊が駐留した場合、沖縄と比べ朝鮮半島に近くなるが、それだけ台湾、東南アジアから遠ざかる」と回答してきた。沖縄に過重負担を強いる「構造的差別」を維持するための詭弁(きべん)としかいいようがない。 これまで沖縄―岩国間の飛行で、CH46輸送ヘリは空中給油か奄美空港に着陸して給油する必要があった。オスプレイは今回、岩国から給油なしで2時間で飛来してきた。米軍は航続距離が飛躍的に伸び、高速度も実現したと胸を張る。ならば沖縄の地理的優位性はなおさら存在しない。 こうした事情も踏まえ、防衛省OBで元内閣官房副長官補の柳沢協二氏は「オスプレイ配備の前提となる沖縄海兵隊の存在理由を『抑止力』と説明するのは、軍事的に説得力がない」とし、技術の進歩によって「海兵隊が沖縄にいる優位性はなくなった」と断じる。日米はオスプレイの配備撤回と普天間の県外・国外移設を真剣に考えるべきだ。論理的にそれが当然の帰結だ。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197634-storytopic-11.html
沖縄タイムス社説 [オスプレイ配備]私達は合意していない2012年9月28日 09時26分
この国は本当に主権国家といえるのだろうか。米垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの沖縄配備をめぐる日本政府の対応を見ていると、「ノー」だと言わざるを得ない。 28日にも予定されていた岩国基地(山口県)から米軍普天間飛行場への移動は、台風接近で延期となった。だが、仲井真弘多知事が上京し、藤村修官房長官に配備中止を直訴した翌日、臆面もなく普天間配備を通告するなど、米軍の運用を優先する姿勢は少しも変わっていない。 オスプレイ配備をめぐっては、日本政府の腰の引けた対応が一貫して目につく。野田佳彦首相は7月のテレビ番組で「配備は米政府の方針であり、(日本から)どうのこうの言う話ではない」と発言した。住民の声に耳を傾け、真摯に向き合う姿勢は感じられず、県民を失望させた。 安全保障の責任者である森本敏防衛相も、米政府のスポークスマンであるかのような言動ぶりが際だっていた。「安全宣言」を発表した際の誇らしげな表情は、一体どこの国の大臣だろうかと目を疑いたくなった。
沖縄の声を真っ向から受け止め、政治化することによって解決の道を探るのが国会議員の役割のはずだが、オスプレイの配備問題では「政治不在」としかいいようのない寒々とした状況が続いている。 オスプレイ配備をめぐる問題は、この国の政治が機能不全に陥っていることも同時に浮かび上がらせた。
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野田首相が圧勝で再選を決めた21日の民主党代表選。県内の民主党員・サポーター票だけが、全国で唯一、赤松広隆元農相が野田氏を上回りトップだった。野田政権に対する沖縄側の不信感が反映された結果といえるだろう。 安倍晋三元首相を新総裁に選んだ自民党も事情は同じだ。安倍氏を含む4候補が来県して那覇市で開かれた街頭演説では、いずれの候補者もオスプレイ配備に対する具体的な言及を避けた。次期総選挙で政権交代を狙っているだけに、対米関係への配慮がにじむ。民主党も自民党も中央と地元の溝は埋まっていない。 第三極を目指す「日本維新の会」代表の橋下徹大阪市長もここにきて「変心」した。23日の会見で米軍普天間飛行場の移設問題に言及し「今の段階で辺野古移設以外の具体的な代替案を持っていない」と述べ、日米両政府の現行案を容認する考えを表明した。腰砕けなのだ。
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府知事時代、普天間の県外移設に理解を示していたのは単なるパフォーマンスで、今後、政権の一角を担うことを視野に入れた現実対応ということなのか。 自国民の生命を守るのが最大の責務であるはずの政府が日米同盟重視の名目の下で県民の訴えに背を向ける。本来、政府の不作為をただすべき政党も米国の顔色だけを伺う。県民大会で示されたのは、「一つの民意」ではなく、「民意は一つ」である。沖縄の総意が、これほど露骨に踏みにじられるのは、かってなかったことだ。異常事態である。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-09-28_39534
沖縄タイムス社説 [オスプレイ飛来]住民を危険にさらすな2012年10月2日 09時17分
次々と普天間飛行場に着陸する米海兵隊のMV22オスプレイ。怒りに声を震わせ、シュプレヒコールを繰り返す高齢の市民。ゲート前の抗議行動だけではない。県内各地で失望と不安の声が上がり、激しい憤怒が渦巻いた。 オスプレイ配備は野田政権の失策である。これによって民主党政権の負担軽減策は完全に破たんした。野田佳彦首相の責任は極めて重大だ。 普天間返還の原点を、過去にさかのぼって、もう一度、思い起こしてもらいたい。 1996年、日米首脳会談を前にして、橋本龍太郎首相から「知事が今一番求めているのは何か」と聞かれた大田昌秀知事は、即座に「普天間」だと答えた。「普天間の危険性はこれ以上、放置できません」 橋本首相は知事の指摘を正面から受け止め、官僚の反対を押し切って米側に普天間問題を提起した。政治主導によって返還合意を実現させたのである。 沖縄側から提起された普天間飛行場の危険性除去-これがすべての原点だ。 その後、移設計画はころころ変わり、返還時期も当初の「5~7年内」から「2014年ごろ」に後退し、さらに「できる限り早期に」というあいまいな表現に変わった。普天間の事実上の固定化が進む中で、墜落事故の絶えないオスプレイが「世界一危険な飛行場」に配備されたのだ。 危険性除去という政策目標から逸脱した「賭け」のような対応である。
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オスプレイは、従来のCH46Eヘリに比べ速度2倍、搭載能力3倍、行動半径4倍という優れた性能を有しており、海兵隊の展開能力が格段に向上する、と森本敏防衛相は強調する。尖閣諸島をめぐる日中対立や、中国の軍備増強が顕著なだけに、オスプレイ配備やむなし、の声が本土にあるのは確かだ。 だが、この種の、政府や一部全国メディアの主張は、あまりにも一面的である。 アジア・太平洋戦争の末期、南方戦線の日本兵は、補給路を断たれ、飢餓に苦しみ続けた。オスプレイの普天間配備で頭をよぎったのは、追い詰められた兵士の窮状も知らずに、遠く離れた東京の机の上で、作戦を練り続けた大本営の秀才参謀の姿である。 沖縄の民意を無視して配備を強行する政府の姿勢には、そこで日々の暮らしを営む住民への配慮が決定的に欠けている。
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日米が合意した安全策には「可能な限り」という表現が実に多い。そのような日米合意がいかに実効性のないものであるかは、米軍の運用実態を日々経験している地元住民が一番よく知っている。 オスプレイは、滑走路のない場所でも作戦行動を展開することのできる「夢の軍用機」を目指して設計された。だが、多様な機能を確保するために、別の機能が犠牲になり、軍内部にも安全性に対する深刻な疑問が生じた。政府の「安全宣言」は、根拠が乏しく、住民の不安をますます高める結果になっている。 住民はオスプレイの安全性だけを問題にしているのではない。県をはじめ各政党、自治体が足並みをそろえて反対しているにもかかわらず、沖縄の民意を無視し続ける政府の高慢な姿勢をも問題にしているのだ。
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防衛・外務両省はオスプレイ配備をひたすら隠し続けてきた。正確な情報を住民に開示し理解を得るという当然の対応を怠ってきたのである。 日本は米軍に安全保障をゆだねている。沖縄の犠牲の上に、日本の安全が保たれていると言っても過言ではない。 日本のように安保条約に基づいて外国の軍隊(米軍)を常駐させている国の場合、その地域の自治体、住民と米軍がどのような関係を切り結ぶかは、安全保障政策の重要な要素となる。 21世紀の安全保障は「住民の安全・安心=人間の安全保障」を前提にしなければ成り立たないからだ。 沖縄の「犠牲の構造」を改めることを前提にして、これからの安全保障政策を構想すべきである。破たんした負担軽減策に代わる新たな政策が必要だ。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-02_39707
【東京社説】オスプレイ 沖縄に配備する暴挙2012年10月3日
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの沖縄配備が始まった。過重な米軍基地負担に苦しむ多くの県民が強く反対する中での配備強行だ。県民の思いを踏みにじる暴挙には怒りを覚える。 野田佳彦首相はオスプレイ配備が提起する数々の問題の重要性を理解していないのではないか。 山口県の岩国基地に駐機していたオスプレイ十二機のうち九機が沖縄県宜野湾市の普天間飛行場に移動した。残る三機も近く配備されるという。 量産・配備後も事故が続き、安全性が確立されたとは言い難い軍用機だ。それをよりによって、市街地に囲まれ、米国防長官も「世界一危険」だと認めて日米両政府が返還に合意した普天間飛行場に配備するとは、どういう考えか。 普天間飛行場の主要三ゲート前では、抗議のため車両でゲートを封鎖した住民と、排除しようとする警察官との間で激しいもみ合いが起きた。沖縄県民の怒りを、日米両政府は軽んじてはならない。 首相は、日本政府独自の調査を経て「安全性は十分確認できた」と宣言した。米軍側から通り一遍の聞き取り調査をしただけで安全が確認できるのだろうか。 さらに留意すべきは、たとえオスプレイが安全だとしても、普天間に配備すべきではないことだ。 沖縄には在日米軍基地の74%が集中し、県民は重い基地負担に苦しむ。普天間は一刻も早く日本側に返還されるべきものであり、負担軽減につながらない新型軍用機の配備が許されるはずがない。
それとも普天間に新たな負担を押し付けて、沖縄県側に名護市辺野古への移設を認めさせようともくろんでいるのだろうか。とても許される政治手法ではない。 海兵隊は機動的に展開する部隊である。アフガニスタンやイラクに配備され、沖縄を空けることも多かった。沖縄駐留が抑止力となっているかどうか疑わしい。 オスプレイは長い航続距離が売り物だ。例えば米領グアムなどに「後方」配備しても、海兵隊の機能は損なわれないのではないか。 基地提供は日米安全保障条約に基づく日本側の義務だが、一地域に過重な負担を強いることは、安保体制の円滑な運営にいずれ深刻な支障をもたらすだろう。 オスプレイは本土でも低空飛行訓練を予定している。沖縄県民だけの問題ではない。日本国民全体が傍観せず、自らの問題として考えるべきである。http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012100302000114.html
(引用ここまで)