愛国者の邪論

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「沖縄差別」論「沖縄抑止力」論の破綻は40年前の「施政権返還」時に明らか!日米軍事同盟廃棄をこそ!

2012-10-20 | 日記

「沖縄差別による過重負担を解消するためには本土が負担を」論や中国・北朝鮮などの「脅威」があるから「沖縄の米軍基地は抑止力として必要」論は、実は1960年代から70年代にかけて、展開されていました。

ま、「中国・北朝鮮」については、必ずしも正確な表現ではありませんが、「朝鮮半島の平和維持」や「台湾における平和と安全の維持」のためには日米軍事同盟は「緊要」であり、太平洋の「要石」であったということです。

そこで現在展開されている日米軍事同盟擁護派のイデオロギーの実態と、その誤りについて「沖縄施政権返還」前に戻り、考えてみました。

そもそも、沖縄の施政権返還問題が、クローズアップされてたのは、戦後初の佐藤栄作首相の沖縄訪問(65年8月)からではないでしょうか。佐藤は「沖縄の祖国復帰が実現しないかぎり、わが国にとって戦後の終わってないことをよく承知しております」の発言があります。

しかし、その後の施政権返還(=アメリカ憲法下から日本国憲法下に転換するにあたって、クリアーしなければならない)の最大の課題は、ベトナム戦争の出撃基地となっていた米軍基地の扱いをどうするか、日米安保条約の運用であり、基地あるが故の経済的貧困・格差問題でした。

こうした問題に対して、基地に影響を与えないものから順次返還させる「機能別分離復帰」論、「教育権分離返還」論などが提唱(67年1月)されましたが、佐藤首相の「一括返還」発言で、「全面返還」に転換していきますが、同時に「核つき返還」論、いわゆる核密約がジョンソンからニクソンへの移行(68年11月当選)とあわせて準備されていったのです。

アメリカ政権の移行とあわせて沖縄でも画期的なことがおこります。屋良朝苗革新県政の誕生です。施政権返還に向けて大きな一歩でした。この選挙の際に争点となったコピーがあります。「屋良を選べば、イモを食いハダシの生活をすることになる」の、いわゆる「基地撤去を取るか、仕事・生活を取るか」論でした。出所はアメリカでした。こうしたアメリカの意向を受けて「平和と繁栄を選ぶか、混乱と貧困を選ぶか、それは沖縄住民の選択にかかっている。屋良が当選すれば、祖国復帰と民生の向上に支障をきたす」((福田赳夫自民党幹事長)が語っています。

その福田赳夫自民党幹事長は、「沖縄返還の障害になっているのは、沖縄の基地撤去を主張している連中で、施政権返還の最大の障害は何だといえば、それは赤旗だ」(67年12月)ということを言っていました。今日の争点づらしの典型というか、「脅し」の破綻は、すでにこの時に現れていたことが判ります。

こういう中で展開された「沖縄差別」論が登場してくるのです。中野好夫・新崎盛睴『沖縄戦後史』(岩波新書)を引用してみます。

 佐藤政権の沖縄返還に対する本格的なとりくみの開始によって、沖縄返還問題は、ジャーナリズムにおける中心的な論議の一つとなった。その際、核つきなら返還が可能だというのであれば、それも一つの方法であると考える人びとも少なくはなかった。これらの人びとの論拠は、本土も沖縄とともに重荷を背負うべきだというにあった。沖縄に「核」を置きながら、本土だけが非核三原則というのは、本土のエゴイズムだというのである。これは必ずしも、政府の政治的意図を忠実に代弁しようとする人たちの、ためにする発言ではなかった。安保体制に否定的な人たちのなかにも、みずからがこれまで沖縄問題に無関心であったことの負い目を本土のエゴイズムに対する自己批判として表言する人びとがいた。
それでもなお、国民的な反核感情(いわゆる核アレルギーは根強いものがあったから、多くの人びとは、核つき返還論を危険視する点で共通していた。一部の人びとは、現在のような国際環境のなかで沖縄の返還を求めれば、それ相応の代償を要求されるのは当然だから、この際いたずらに沖縄問題の解決を急ぐことは避けなければならない、といいきっていた。しかし、このようなあからさまな現状維持論をもって国民的願望論に対抗することは困難であったから、主要全国紙の論調も、進歩的文化人の一部も、「本土なみ返還論」という対案を提起し、それを支持する世論を強化することによって、危険な「核つき返還論」を否定しようとした。
 安保体制を否定するような立場の人たちまでが、本土なみ基地による返還を主張したのは、これまた沖縄のみに重荷をしわ寄せしてはならないという心情の反映であったが、その点からだけみれば、「核つき返還論」のほうが首尾一貫していた。
それでも、「本土なみ返還論」は、表現のうえでみるかぎり、「核つき返還論」や「核ぬき自由使用返還論」よりは、危険性が少ないようにみえ、かつ、革新勢力のスローガンである「即時無条件全面返還要求」よりは、現実性がありそうな印象をあたえたから、世論調査の数字などにおいては、もっとも大きな支持をえていた。
 政府が意図的に沖縄論議をかきたてるなかで、ジャーナリズムに登場した論者の多くが、戦前戦後を通じてほとんどの日本人が沖縄に無関心でありこれを差別的に扱ってきたことを反省してみせると、沖縄からも、それに迎合するかたちでセンセーショナルな差別告発が行なわれるようになった。
 差別の問題は、すでにみてきたように、戦後初期の独立論のなかでとりあげられ、独立論的発想の一つの根拠となっていたが、復帰思想が正当性を確立するとともに、清算ずみのこととされてしまった。しかし、戦後生れかわったはずの日本が、沖縄に対しては相変らず冷淡であるといった事実に直面して、民衆のあいだには、ふたたび差別的処遇へのうらみつらみがうっ積しはじめていた。
 本土との連帯を重視する復帰運動は、むしろこうした民衆の感情が表面化することを規制する傾向にあったが、本土における差別への反省は、こうした規制を除去した。だが声高な差別告発論は、つまるところその償いを「繁栄する祖国」に求めているばかりか、沖縄内部の矛盾をいっさい捨象しており、結局、民衆のなかにわだかまっていた被差別感情を代弁して、それにはけ口をあたえたにとどまった。差別を告発しその償いを求める復帰論は、崩壊期の復帰思想の一つの特徴を示したが、六九年一一月の佐藤・ニクソン会談以後は、漠然とした反ヤマト(反本土)感情へと拡散していく方向をたどった。
(引用ここまで)

どうでしょうか?現在、日米軍事同盟を「日米同盟」と表現し、日米関係は一般的な友好同盟で成り立っているかのように誤魔化している日米両政府とマスコミですが、彼らは「沖縄差別」論や「普天間の県外・県内移転説」論=負担軽減論=本土負担論を打ち出すことで、基地の存在の本質と基地があるが故に起こる犯罪の根源である日米軍事同盟廃棄の課題を覆い隠す役割を担っている、このことが、施政権返還時にもあったことが判るのではないでしょうか?しかも、それらの論が、その後どうなったか、これまた事実が証明しているのではないでしょうか?

「地位協定改正」論についても、形を変えた「機能別分離復帰」論、「教育権分離返還」論と同じではないでしょうか?

さて最後に「沖縄抑止力」論です。これについては、以下の2つの指摘を掲載しておきます。

一つは、小泉親司『日米軍事同盟史研究』(新日本出版社)に掲載されているアメリカ高官の発言です。

 レアード米国防長官は、返還前の六九年六月三日、米下院歳出委員会対外活動小委員会で、米政権の沖縄基地の役割についてつぎのように証言していた。
 「アメリカの軍事戦略は、いかなる危機や紛争も、アメリカ本国から可能な限り前方で抑止し、ないしは封じ込めることが国防上きわめて重要だという前提から出発している。(中略)沖縄は、その(アジア)戦略上の地理的位置によって、東アジアのアメリカの前進基地群の鎖の中心をなしている。沖縄基地の役割は次の点にある。
 a、東アジア地域全体の軍事的な不測の事態に対応するため、地上部隊と空軍兵力を戦闘即応態勢において置くことのできる近接出撃拠点であり、作戦基地。
 b、西太平洋地域での作戦中の陸・海・空兵力への支援において主要な役割を果たすための西太平洋中央の兵姑基地群。
 c、東アジア全体の大規模な通信網」
 基地リストはまた、核部隊、攻撃基地ばかりでなく、スパイ・かく乱活動をおこなう米陸軍第一特殊部隊、第七心理作戦部隊などに基地を提供することをも取り決めた。これらの特殊部隊は、ベトナム侵略戦争でも、不正規の軍事作戦や破壊・かく乱作戦、スパイ・情報作戦をおこなっていた部隊であった。返還にあたって、このような部隊の基地を承認することは、アジア諸国、とくにベトナムや朝鮮、中国などにひきつづき敵対することを意味するものであった。 同時に、返還協定は第八条で、VOA(voice of America、『アメリカの声放送』)中継局の継続のための協議を規定し、「VOA中継局の運営の継続に関する交換公文」を結んだ。VOAは、ベトナム戦争をはじめ日常的に対共産圏にたいする謀略放送を任務とする機関であった。VOAは、アメリカ大統領の直属組織であり、米軍基地として存続させることはできないものであった。 しかし、佐藤首相は、「謀略放送は絶対にさせない。また中華人民共和国から何ら抗議めいたことはない」とのべ、VOA基地の存続を容認した。(引用ここまで)

もう一つは、「米海兵隊の役目は「在留米人救出」 じゃあ抑止力ってなに? 2010/5/10 15:06」です。http://www.j-cast.com/tv/2010/05/10066046.html

迷走する沖縄・米軍普天間基地移設問題は、鳩山首相が「最低でも県外」とせっかく提起したのに、わずか半年でギブアップし、かつて日米合意していた名護市の辺野古沿岸に話を戻しつつある。首相はその理由について米海兵隊の『抑止力』を挙げたが、そもそも沖縄にいる米海兵隊の役割とは何か。日本にとって本当に抑止力になるのか。番組キャスターの赤江珠緒がこの根本的な疑問を取り上げ、喧々諤々の議論になった。そこから見えてきたものは、海兵隊の最大の役割は在留米人の救出で、どうやら『抑止力』は日本の錯覚らしい。
日本人は後回し
論争に火を付けたのは、元朝日新聞社会部記者で軍事ジャーナリストの田岡俊次。インタビューで赤江が「日本は米国に守ってもらっていると言われていますが…」との問いに、次のように答えた。
「そこに変な刷り込みがあるだけで、自衛隊に比べれば在日米軍なんて何ていうこともない。中国に対する抑止力をいう人がいるが、米国は中国とすごく親密で、米国にとって中国はすごく大事だ」
「沖縄にいる米海兵隊は普天間にヘリ部隊、キャンプ・シュワブには歩兵部隊もいるが、800人から1000人程度。暴動とか内乱のときに在留米人を助け出すのならなんとかなる程度だ。しかも、救出の優先順位は決まっていて、1位が米国人、2位がグリーンカードの永住許可持っている人たち、3位が面白くて英国、カナダ、豪州、ニュージーランドのアングロサクソン4か国、5位はその他で、この『その他』に日本人が…」
これには赤江は「エ―ッ、ショックですね」。
この優先順位については、赤江がインタビューした元防衛大臣の石破自民党政調会長も1位が在留米国人であることを認めており、在留日本人はせいぜい「在留米人を救出した後、空席があればついでに助けてもらえる」程度なのだという。
アメリカが当事者になって戦争を行っており、紛争地では在留米国人はいわば敵国人、助けに行かねばならない。が、日本人は敵国人でないので慌てて逃げる必要ないという理屈という。
この程度の『抑止力』しかないのに、沖縄の米軍基地の大半はこの海兵隊の前線基地で、漁業すら規制され満足にできない。それだけの犠牲を払っているのに、救出の優先順位は『その他』の分類とは!。
スタジオでは、ジャーナリストの鳥越俊太郎が「鳩山さんは誰からレクチャーを受けたのか? 『抑止力』という言葉は『魔術』というか、縛りから出ることができない。竹島は韓国に占領されているが、海兵隊は出ていかない。抑止力はないのだろう」と、矛盾だらけの抑止力を指摘した。
作家の吉永みち子も「有事にすぐ出動してくれると日本は思っているだけで、どういうことが有事なのか、問いなおす政権は今までなかったし、有事について日米間できちっと詰めていなかった気がする。今回冷静に考えるいい機会と思う」と指摘した。(引用ここまで)

まさに手品師のトリックが芸としてマスコミ・メディアをとおして国民の中に流布されているのではないでしょうか?これに拍手喝采し、賛同する国民もいるのです。しかし、同時にこのトリックを見破る目を磨きながら、勇気を出して「違うぞ!」「日米軍事同盟を廃棄して、軍事力に頼らないで平和を日米でつくっている、そのための平和友好条約を締結していこう。東アジアで偉大な実験をともに」という声を、マスコミが、あらゆるメディアが発信していくべきではないでしょうか?

沖縄施政権返還時の、様々なやり取りを振り返ってみて、今日の課題を探ってみたというところです。

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