愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

「日本のメディアは第二次大戦の反省から出発して変わった」という「朝日」の論説委員の「勘違い」を質す!

2012-10-24 | 日記
20日の夕刊に面白い記事が掲載されました。以下の記事です。この論説委員の主張に対しては「大いに疑問がありま~す!」と声を上げたくなりました。まずお読みください。

「窓」 論説委員室から 「新聞と世論」10月20日(夕刊)
 愛媛県松山市の「坂の上の雲ミュージアム」を訪ねた。日露戦争と明治時代の新聞のあり方を紹介した企画展が面白かった。 司馬遼太郎が自著「坂の上の雲」に記した言葉が展示してある。 日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表しない。むしろ流行を代表するもので(略)」 日露戦争のポーツマス講和条約後に起きた日比谷焼き打ち事件に至る報道を評したくだりだ。 「新聞は満州における戦勝を野放図に報道しつづけ国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり(略)」 帝政ロシアとの妥協を知った多くの新聞は政府の弱腰を批判した。新聞と世論がナショナリズムを媒介に激情を燃え上がらせた。 100年を経た今、日本のメディアは変わったと思う。第2次大戦の反省から出発し、日本を戦争に引き込む道には警戒の目を向けてきた。 尖閣や竹島問題で隣国のメディアには愛国調が目につく。日本のメディアが比較的冷静に思えるのは、戦後の積み重ねがあるからだろう。 日中韓とも政治の激動期を迎えつ一つある。世論と新聞との関係がいよいよ問われようとしている。 21日まで新聞週間。司馬の言う「内省力夷く論」に陥念いづう自戒したい。〈脇阪紀行〉(引用ここまで)

まず第一に、「100年を経た今、日本のメディアは変わったと思う。第2次大戦の反省から出発し、日本を戦争に引き込む道には警戒の目を向けてきた」とありますが、果たしてそうでしょうか?

以下の事実はどうでしょうか?まず石原都知事の尖閣買い取り発言やパンダ誕生に「センカク」と命名したらどうかとか、「シナ」発言などなどについて、「朝日」をはじめとした「新聞」「テレビ」など、メディアは的確に批判してきたでしょうか?安倍総裁誕生の経過と背景、安倍総裁の発言と行動などなど。

これらを見れば、明瞭です。

その点で22日の3面「首相にふさわしいのは?」の記事は、「変わっていない」「反省していない」典型でしょう。まだ、こんなアンケートをやっているのです!

以前もの種の世論調査について論じましたが、「またしても」です。しかし、新聞には、自ら、この種の世論調査の誤り、世論をミスリードしていることが、出ていました。「朝日」は気づいていないでしょうけれど・・・。そこが可笑しいというか、最低・最悪だと思うしだいです。ネットには掲載されていませんので、以下本文を掲載してみます。
http://www.asahi.com/politics/update/1022/TKY201210210406.html

◆野田首相と自民党の安倍総裁とでは、どちらが首相にふさわしいと思いますか。野田さんですか。安倍さんですか。
 野田さん25(34)
 安倍さん37(39)

 朝日新聞社の全国定例世論調査(電話)で、野田佳彦首相と自民党の安倍晋三総裁のどちらが首相にふさわしいかを聞いたところ、野田氏は25%(前回の10月1、2日の緊急調査は34%)に急落した。安倍氏は37%(同39%)とほぼ横ばいだったが、「その他・答えない」が38%(同27%)と増えたのが目立った。 無党派層では、野田氏を選んだのは24%(同32%)で、安倍氏は27%(同29%)。「その他・答えない」は49%(同38%)だった。 これまでの調査でも、当時の首相と野党第1党の党首のどちらが首相にふさわしいか、質問したことがある。直近は政権交代直前の2009年8月中旬の調査で、当時の麻生太郎首相が20%、民主党の鳩山由紀夫代表が41%、「その他・答えない」は39%だった。(引用ここまで)

どうでしょうか?「変わっていないなぁ~」です。この種の世論調査のデタラメさが良く出ていると思いませんか?この種の世論調査の結果がどうだったか、「検証」「反省」してほしいものです。「相応しい首相」として登場させてきた首相の末路を見れば明々白々です。そして、今また、安倍総裁が「相応しい」首相候補なのです。かつてはどうだったか、探してみましょう。「朝日」がやらないのであれば・・・

愛国者の邪論は、世論調査そのものが悪いと言っているのではありませんので、愛国者の邪論なりに考えた案を出してみましょう。それは「誰が首相にふさわしいか?」ではなく、「何をやってくれる」政治家が首相にふさわしいか?その公約・政策を掲げ、実行のための計画を掲げる人はどんな政治家か、或いはどの政党か、具体的に示して、選挙の選択を国民に迫る、そんな世論調査をやってほしいものですね。

ま、絶対やらないでしょうね!どこの政党がどんな政策を掲げているか、具体的に報せるマスコミは、あまり見たことがありません。「違いが判る」ようにはしないのが、日本のマスコミです。二大政党政治が好例です。

因みに、鹿児島三区補選の各候補者の政策を公平にマスコミは報道しているでしょうか?していません!あそこの最大の争点は川内原発ですよね。でも、このことで、各候補が何を言っているか、追っかけているでしょうか?

「朝日」 総選挙前哨戦、語られぬ原発 衆院鹿児島3区補選告示2012年10月17日03時00分
原発事故後も容認の首長が続々当選
 松下忠洋前金融相の死去に伴う衆院鹿児島3区補選が16日告示された。選挙区には九州電力川内(せんだい)原発(薩摩川内市)があり、昨年3月の原発事故後、立地地域では初の国政選挙だ。民主、自民両党は次期衆院選の前哨戦と位置づけるが、争点となるべき原発問題が語られることはない。28日に投開票される。
http://www.asahi.com/politics/intro/TKY201210160712.html

22日の「朝日」の3面は「自民・宮地氏、優勢」という記事に、原発は申し訳程度に最後の方に、「定期検査で停止中の九州電力川内原発があり、同時に実施した世論調査で運転再開について聞くと、賛成35%、反対38%と伯仲した」とだけです。国民的関心にもかかわらず、はるか鹿児島にける国政選挙ということなんでしょうか?この程度の記事です。見落としているかもしれませんが・・。選挙が終わった時、どんな記事が出るか、その時検証してみたいと思います。


次に、第二に、「尖閣や竹島問題で隣国のメディアには愛国調が目につく。日本のメディアが比較的冷静に思えるのは、戦後の積み重ねがあるからだろう」というのも、比較の問題でしょうか?また隣国の「愛国調」をあげることで、日本の「愛国調」は免罪できるでしょうか?

自民党化した民主党の野田政権の安全保障政策、安倍自民党総裁の主張と行動、橋下「日本維新の会」の「維新八策」などの「愛国調」に対して、中韓への視点で批判を展開してきたでしょうか?

「中韓の愛国調」を批判することで、実は「日本の愛国調」の助長を許して、煽ってきたのではないでしょうか?

例えば、今日24日の「朝日」の一面、「デモで暴発『抗日』・貧困の末に」「『愛国のため』日本車の男性襲撃」というテーマの記事は、以下のとおりです。
 彼を犯行に駆り立てたものは何だったのか。 「気の弱い子だった」と母親の揚水蘭さん(56)は言う。 でも、反日デモに参加した理由は思い当たる。「小さいころから、(日本軍人が殺人や略奪を繰り返すシーンを強調した)抗日戦争映画やドラマが大好きな子だった」からだ。 村で悪者は誰かと聞くと、子どもたちは「日本人」と答える。蔡容疑者も小学生のころ、同級生と抗日戦争ごっこをして過ごした。こん棒を振り上げて、「日本鬼子(日本人の蔑称)をたたきのめせ」と畑の中を駆けた。 小学5年で学校はやめた。1日30元(約375円)で左官職人の見習いを始め、18歳で西安へ。収入の安定しない日雇い仕事などをしながらの「最下層の生活」(父親)だった。 事件に対する本人の供述内容などは明らかになっていない。ただ、事件前のブログには「悲しい人生」「勉強したい」といった文字が並ぶ。隠れて上司の高級ドイツ車に放尿し、「爽快だ」とも書いていた。(南陽=奥寺淳)(引用ここまで)

11面には、「抗日ドラマ 若者染める」「中国・デモ一ヶ月」「出稼ぎの不満反日で発散」というテーマがあり、「愛国主義教育」についての解説がある。

 夕暮れ後の農家の裸電球の下で、母親の揚水蘭さんは主張した。「学校では日本人は悪いと教わり、テレビをつければドラマの多くが抗日もの。反日感情を持つなと言うのが酷だ」 蔡容疑者は細菌兵器の実験をしていたとされる旧日本軍の731部隊が、中国人の子供の心臓を解剖して切り刻むとの設定のシーンがある抗日ドラマをよく見ていたという。
 中国では抗日ドラマが量産されている。昨年は確認されただけでも12シリーズ、計396回が新たに制作された。23日に全国放送される各地のテレビ局40局のうち、半数以上の21局が抗日戦争もののドラマを放映している。 9月に西安で反日デモを組織した自営業男性は、学校の歴史教材やテレビの抗日ドラマ、メディアの宣伝を通じて自分たちに植え付けられた世界観は「反日、イコール愛国だ」と表現する。 豊かな沿海部の住民と比べ、義務教育も十分に受けられない内陸部の農村では、こうした政府の愛国教育や抗日ドラマの思想に染まる若者が圧倒的に多い。さらに当局が反日デモの暴徒を制止しようとすると、「愛国無罪」と叫んで抵抗する姿も各地で見られた。…中国メディアは彼らが暴徒化した動機を「給料が安いなどの現実の不満を吐き出し、私憤をはらした」(中国中央テレビ)などと分析している。(西安=奥寺淳)(引用ここまで)

さて「朝日」が、インターネットに掲載された蔡容疑者(21)の犯行の記事を書く意図は何でしょうか?是非ともお考えを!

この記事、愛国者の邪論なりに言うと、このブログに書き込んできた人たちのことを考えないわけにはいきませんでした。こうした中国の「愛国主義教育」を受けた「愛国者」たちの「犯行」を見た日本人がどのような中国観を抱くようになるか、そこです。

「抗日ドラマ」を「大河ドラマ」「小泉劇場」「政権交代」「橋下氏の絶叫」「決める政治」「1000隻尖閣に接近」と置き換えてみると、どうでしょうか?「朝日」のやっていることの意味が、自ずと見えてくるような気がします。

今回の「反日」で動いた中国人が人口の中でどれくらいを占めているか。そうではなく、日本との友好を大切にしようと考えている中国人がどれくらいいるか、「朝日」の記事は、全部とは言いません。たまには友好を目指しているなという記事が出てきます。したがって「若干」アンフェアーな気がします、と言っておきましょう。

「朝日」の「嫌中」?報道について、今後も検証してきたいと思います。

ではどうするか、です。それは、日本で言えば、国の根本である憲法を意味づけるのです。そこからすべてを見るのです。「ものさし」論です。

例えば、第9条を使ってどのような方法で国際紛争を解決すべきか、そのことの可能性をどれだけイメージ豊かに追求していくことではないでしょうか!?或いは、非軍事的・非暴力的手段による紛争の解決方法を世論の多数派とするための努力です。「勝負はけんか」などという勇ましいことを言う政治家の「退場」もその一つであることは言うまでもありません。

第三には、「朝日」の23日の以下の「社説」です。

「野田政権の体たらく」は、消費税増税について、公約を破って、国民に問うこともなく、さらには、国民の多数が「国会で決めるな」としていたにもかかわらず、三党合意で強行可決したことに端的に見られていました。その際に、「朝日」はどう「評価」したか!よもやお忘れでは・・・・。

野田政権の「体たらく」を批判する前に、全国メディアとしての役割が、民主主義の理念に合致していたかどうか、よ~く検証されるべきでしょう。

「野田内閣の政権担当能力そのものに、重大な疑問符がつきつけられている」のは、もっと前からです。野田政権を支えてきたのは、他ならぬ米倉経団連とアメリカ、そして全国紙とテレビだったのではないでしょうか?それらの応援団が、来る日も来る日も、「抗日ドラマ」のように、政党間の政策や動きを公平に報道せず、「政局」報道に現を抜かしていることこそ、日本の民主主義の停滞を招いている権化であることを自覚すべきです。

原発再稼動と建設・オスプレイ強行配備・沖縄の女性暴行事件など、どれを取っても、政権の行きまり、これまでの政治の枠組みでは、解決方法は見出せないことは明らかなのですが、「そうはせじ」との装置が、「抗日ドラマ」のように、張り巡らされているために、容易には解決方法が見出せない国民世論があるというのが、現在の日本の実情です。

以下の社説をよく読めば、天に唾する「朝日」と言えないでしょうか?

田中法相問題―政権の体なしていない
 野田政権の体たらくは目を覆うばかりだ。  外国人企業からの献金や、過去の暴力団関係者との交際を認めた田中慶秋法相が、ようやく辞任する見通しだ。  田中氏に法務行政の責任者が務まらないことは、いくつもの理由から明らかだった。 辞任は当然のことだが、それで済む話ではない。  まず、外国人献金問題だ。この問題は昨年、当時の前原外相や菅首相らにも発覚し、前原氏は外相を辞任している。  つまり、政治資金規正法違反に当たることは、当時から分かっていたはずである。なのに今回、本紙に指摘されるまで是正を怠ってきた田中氏の脇の甘さは度し難い。  次に、過去に暴力団組長の宴席に出たり、暴力団幹部の仲人をしたりしたとの週刊誌報道の事実関係を認めたことだ。  暴力団と付き合いのある法相が、暴力団の摘発にあたる検察を指揮・監督する。たちの悪い冗談だとしか思えない。  こうした問題を野党に追及されるのを恐れたのだろう、田中氏は先週、参院決算委員会の閉会中審査を欠席した。まさに前代未聞の国会軽視である。 閣僚は、国会に答弁や説明を求められれば出席しなければならない。これは憲法63条に定められた義務である。  法相就任以来の田中氏の記者会見では、しどろもどろの答えが続いたり、質問と答えがかみ合わなかったりする場面が目立った。  こんな「素人法相」に、検察改革など喫緊の課題を任せるわけにはそもそもいかなかった。  野田首相はなぜ、田中氏を法相に任命したのか。  結局は、9月の党代表選で旧民社党グループの支援を受けた見返りに、グループ会長の田中氏を初入閣させた。つまり、能力や経験より論功行賞、党内融和を優先させた安易な組閣の帰結というほかない。 首相の任命責任は極めて重いと言わざるをえない。 もうひとつ、あいた口がふさがらないのは、民主党の側から田中氏に決算委員会の欠席を求めた経緯があったことだ。 「国会を欠席せよ」と言われて唯々諾々と従う田中氏も田中氏だが、「答弁されるよりまし」と欠席を求めた民主党の姿勢にもあきれるほかはない。 法相の問題も響き、朝日新聞の世論調査では内閣支持率が18%に下がり、初めて2割を切った。野田内閣の政権担当能力そのものに、重大な疑問符がつきつけられている。http://www.asahi.com/paper/editorial20121023.html#Edit1(引用ここまで)


「新聞と世論」の関係をみてきました。国民世論を形成する上で大きな影響力を持つマスコミについて、述べてみました。中国を反面教師として、現在日本の課題を、とことん突き詰めていく、このことが、今の日本には必要不可欠なような気がします。第四の権力であるマスコミをどうするか、それは主権者である国民の力にかかっているような気がします。

「朝日」の「窓」は、日比谷焼き討ち事件のことを書きましたが、愛国者の邪論は、その13年後に富山で起こった米騒動の記事を、権力が検閲。各地の米騒動の部分を白抜きで発行させたことを想い出しました。もう一つは、孫其偵の日の丸事件です。

これらは権力というものは、権力にとって都合の悪い「事実」が庶民に知られていくことを如何に恐れているか、です。白と黒、善と悪、上と下、右と左、対の事実を公平に伝えること、このことの判断は国民に委ねる、意見の違いは認め合う、これは人類が到達した叡智のような気がします。