昨日と今日の社説に、特徴的な記事が掲載されました。そこで以下の3つの社説に対して、思うところを以下のようにまとめてみました。
1.橋下市長に対する評価に注目してみました。
2.体罰容認、競争と勝利第一主義、命令と服従を強要する橋下市長の言動、政治姿勢に対する評価がどのようになされているか、そこに注目してみました。
3.今回の「決定」にあたって憲法とこどもの権利条約の視点からみて、子どもが学校の主人公であるかどうか、そこに注目してみました。
4.市教委の「機能不全」を指摘は当然としても、その原因について、どのように捉えているか、注目してみました。
5.文部(科学)省と中央教育審議会が強力に推進してきた「特色ある学校」の具体化として設置された市立桜宮高校の体育科と普通科のあり方について、各紙はどのような捉え方をしているか、そこに注目していました。
総じて言えることは、「北海道」には小アッパレを、沖縄タイムスには○白丸を、「朝日」には、●黒丸をつけておきたいと思います。
しかし、特に、以下の記述の部分については、橋下市長の「改革」の本質に関わる部分であり、同時に戦後自民党政権が推進してきた教育政策の根幹に関わる部分、とりわけ安倍自公政権の政策の中心部分にあたるものです。マスコミが曖昧な、傍観者的な、上から目線の記事を書くのは問題と言わなければならないと思いますので、指摘しておくことにしました。
沖縄タイムス―「手を上げる指導方法が、正当化されている雰囲気がある」と橋下市長が指摘するように事態は深刻だ。…今、優先すべきなのは、まず、体罰の実態を徹底的に調査し、明らかにすることだ。そして、なぜ顧問が体罰を肯定し、周囲も容認してきたのか、背景を解明し、根絶のための対策を議論することだ。 責任の所在を明確化するため
北海道―生徒が意見を言える環境が整っていれば、いじめや体罰などの問題が起きても常態化には至らないはずだ。市教委や高校には、学校をそうした自由で開放された場にする真剣な取り組みを強く求めたい。
朝日―体罰容認の実態が改まっていない現状では新入生を迎えられない。今回の中止は、橋下氏がそう発言したのがきっかけだ。…体罰をめぐる意識改革などを、教育現場の自発的な発案、責任ある行動で進めていく。その過程があってこそ、学校は変わっていける。
以上の指摘をみるにつけ、マスコミが取るべき視点の弱点を指摘しないわけにはいきません。それは憲法であり、第一次安倍政権が改悪した新旧教育基本法であり、子どもの権利条約に対する評価と具体化について、もっと頑張れ!ということ、このことに対する確信です。
同時に、戦前の大日本帝国憲法観、教育勅語、軍人勅諭と歩兵操典などの思想が、今日の社会や学校に色濃く残っていること、このことを踏まえた記事にすべきであることを強調しておきたいと思います。
このことを通して、日本の社会の「後進性」を克服していかなければ、第二第三の犠牲者が出てくると思うからです。
以下、社説を掲載し、特に注目した部分を強調しておきました。
沖縄タイムス社説[体育科募集中止]生徒へのケア優先せよ2013年1月23日 09時27分
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-01-23_44296
大阪市立桜宮高バスケットボール部主将の男子生徒が顧問から体罰を受けた後に自殺した問題を受け、市教育委員会は、今春の同校体育系2学科の募集を取りやめることを決めた。橋下徹市長による入試中止要請を一部受け入れた格好だ。 計120人分の定員は同校の普通科に振り替えるものの、そのカリキュラムはスポーツに特色のある内容にするという。試験科目や通学区域も、これまでの体育系学科と変わらない。 受験生に配慮し、現実的対応で決着した印象だが、一方で、改革をアピールするため、つじつまを合わせた政治的折衷案の感も拭えない。願書提出が迫ったこの時期に、突然、入試の中止を打ち出し、いたずらに受験生を振り回しただけではなかったか。 もちろん一人の生徒が体罰に苦しみ、自ら命を絶った事実は、重く受け止めなければならない。体罰は、子どもの人権を無視した行為であり、学校教育法によって禁じられている。
その上で、問いたい。今回の募集中止の判断は、改革に向けたプラス効果と、受験生へのマイナスの影響、それぞれを十分検討した結果なのか。 体育科とスポーツ健康科学科は、卒業に必要な単位の約3割を体育関連の科目で占める。全員がスポーツの部活動に所属し、部活と関連した指導に特色があるという。今回、普通科に入学後の教育内容はどうなるのか。市教委は丁寧に説明し、混乱の解消に努めるべきだ。
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同校では、複数の部で顧問による体罰があったことが明らかになっている。「手を上げる指導方法が、正当化されている雰囲気がある」と橋下市長が指摘するように事態は深刻だ。 バスケ部顧問をめぐっては、体罰の情報が市に寄せられていたにもかかわらず、学校側は顧問からの聞き取りだけで、生徒から事情を聴かずに「体罰はなかった」と市教委に報告していた。学校も市教委も事なかれ主義が甚だしい。 今、優先すべきなのは、まず、体罰の実態を徹底的に調査し、明らかにすることだ。そして、なぜ顧問が体罰を肯定し、周囲も容認してきたのか、背景を解明し、根絶のための対策を議論することだ。 責任の所在を明確化するためにも、一定規模の人事刷新は確かに必要だろう。ただ、予算の執行権限を振りかざしてまで、全教員を異動させよとの橋下市長の要請は、あまりにも乱暴だ。
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橋下市長は「伝統、校風を一度断ち切り、全く別の学校に生まれ変わらせる」と主張する。だが、その激しい言葉には在校生や保護者から反発の声も上がっている。 在校生は、大人が引き起こした体罰問題の被害者であることを忘れてはならない。体罰の末の自死で仲間を失った事実に傷つき、今は文化系も含めすべての部活動が中止され、動揺が広がっている。 受験生や在校生らを置き去りにすることなく、冷静に議論してもらいたい。(引用ここまで)
北海道新聞 体罰と入試 本質論不在の募集中止(1月24日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/436166.html
大阪市教育委員会は、部活動の顧問教諭から体罰を受けた生徒が自殺した市立桜宮高校の体育系学科の募集中止を決めた。 自殺した生徒がこの学科に属していたとはいえ、体罰が常態化していたのは、部活動の中だ。 募集中止が体罰の根本的解決になるのか。受験生にしわ寄せが及んでもいいのか。納得できぬ措置と言わざるを得ない。 募集中止を求めたのは、橋下徹市長だ。自らの発言に従わない場合は、予算削減も辞さない構えを示した。市長が圧力で市教委をねじ伏せた構図と言えるだろう。 教育関連予算の編成権は首長にあるとはいえ、これは明らかな教育行政への介入である。 入試まで1カ月に迫ったこの時期に志望学科がなくなった受験生の気持ちを思うとやりきれない。市立中学校長会が、通常通りの入試を市教委に申し入れたのも当然だ。
橋下市長は、桜宮高校の校長をはじめ全教諭の総入れ替えも求めている。教育を政治的なパフォーマンスの場として利用しているとのそしりは免れまい。現場の混乱は必至だ。 市教委がまず取り組まなければならない本質は、体罰を容認することがないよう、学校教諭の意識改革を進めることにある。部活動を心と体の鍛錬、信頼関係の構築といった本来の姿に戻す努力が不可欠だ。 募集中止に当たって、体育系学科の定員120人分は普通科に振り替える措置が取られるという。 しかし、普通科のカリキュラムの制約から、体育系と同じ授業を行うのは難しい。体育系を目指してきた志望者は、不利益を被ることになる。教育の機会を失わせる由々しき事態だ。 今回はさらに、市教委が問題解決の当事者能力を欠いていたことも明らかになった。 大阪市に体罰の具体的な情報が寄せられていたにもかかわらず、調査を学校任せにし、体罰の常態化を見逃してきた責任は重い。 大津市のいじめ自殺への対応の不手際も含め、教育委員会はまたも機能不全を露呈し、信頼を大きく失墜させた。 迅速かつ自律的に、問題の解決を図る機動的な組織に生まれ変わらなければならない。 募集中止の措置をめぐり、在校生たちが「新入生の受験の機会を奪ってほしくない」と訴えた。 生徒が意見を言える環境が整っていれば、いじめや体罰などの問題が起きても常態化には至らないはずだ。市教委や高校には、学校をそうした自由で開放された場にする真剣な取り組みを強く求めたい。(引用ここまで)
桜宮入試中止―わかりにくい折衷案だ 2013年1月24日(木)付
http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_gnavi
体罰が明らかになった大阪市立桜宮高校の入試について、市教委は橋下徹市長の求めに応じ、体育科とスポーツ健康科学科の入試をとりやめる。 ただし普通科として入試をする。体育系2科と同じ試験科目で受験できる。市教委が市長の顔を立て、同時に入試方式を変えないで受験生に配慮した折衷案での決着だ。 桜宮高校はスポーツを中心にした教育で全国に知られる。体育系2科を志願してきた中学3年生にとっては、入試中止の事態は避けられた。 とはいえ、わかりづらい点も少なくない。市教委はスポーツに特色のあるカリキュラムにする方針だ。「勝利至上主義ではなく他者を慈しむ心を育てる」というが、具体的に何を教えるのか。体育系2科と比べて履修教科に変更はないのか。出願まで1カ月を切っており、早急に示す必要がある。 来年度、市教委は改革の進み具合をみて学科のあり方を再検討するともいう。体育系2科が復活するのか、普通科で入学した生徒は編入できるのか。不安を抱えたままの受験となる。 体罰容認の実態が改まっていない現状では新入生を迎えられない。今回の中止は、橋下氏がそう発言したのがきっかけだ。 高校受験は人生の大事な節目である。本来、受験生にしわ寄せがいくのは好ましくない。 学校教育は生身の人間が主役であり、改革も現場主導が、あるべき姿だ。だが今回、橋下氏が前面に乗り出した。 もとのまま入試が実施された場合の予算執行停止にまで言及して、市教委を追い詰めたことには強い違和感が残る。 入試の中止に加え、教員の全員入れ替えなどのかけ声が先行し、学校やクラブ活動をどう良くするかという本質論が先延ばしになったのは残念だ。 入試の中止が決まった日、桜宮高校3年の運動部元キャプテン8人が市役所で記者会見し、「勝利至上主義ではなかった」「市長には生徒の声をもっと聞いてほしい」と訴えた。 市長が直接、方針を示す「荒療治」を是とする意見もある。社会には、教育現場への不信感があるのも事実である。 だが、橋下氏は生徒の声にもっと耳を傾けるべきだったし、一方的な発言で対立を深めるのでは、根本的な問題解決の糸口はつかみにくい。 体罰をめぐる意識改革などを、教育現場の自発的な発案、責任ある行動で進めていく。その過程があってこそ、学校は変わっていける。(引用ここまで)