# わが友を見送るけふのわかれの空を
いざ酌めな別かれゆかぬと
上の歌は大正10年、亡父が勤めていた新聞社の沼津通信部から東京
本社へ転勤のとき、その送別会の席上、若山牧水が父に贈ってくれた
ものだ。白地の扇子に達筆な筆で書かれている。先日父の遺品を整理
して見つけたものだ。
きょう沼津の牧水ゆかりの千本浜で「碑前祭」が催されるが、僕ら夫婦
もこれに出席、この扇子と送別会のさい撮った父と牧水が一緒の集合
写真を牧水記念館に贈呈する。85年ぶりの”故郷”帰りである。
亡父は大正9年8月31日の天長節から翌10年2月11日の紀元節まで
沼津にいた。たった6か月の勤務だったが、残されたものによると
父はこよなく沼津を愛し仕事も充実していたようだ。残念ながら直接
牧水との交遊については記されていない。が、生前父は僕に「牧水は
駅弁で酒を呑むのが好きだった」と語っていた。父がどんな席で駅弁
を肴に酒を呑み何を語ったのだろうかー。
父は当時37歳、晩婚だったためまだ子供はなく玉突屋(ビリヤード)
の二階に母と妻(つまり僕の祖母と母)と下宿していた。牧水は父より
一歳下の36歳。二人は早稲田大学の同窓だったから多分、酒席では
学生だったころの話も出たことだろう。
いずれにせ牧水が父に贈ってくれた扇子は、父が愛した沼津のしかも
牧水記念館に収めることが出来幸せである。
いざ酌めな別かれゆかぬと
上の歌は大正10年、亡父が勤めていた新聞社の沼津通信部から東京
本社へ転勤のとき、その送別会の席上、若山牧水が父に贈ってくれた
ものだ。白地の扇子に達筆な筆で書かれている。先日父の遺品を整理
して見つけたものだ。
きょう沼津の牧水ゆかりの千本浜で「碑前祭」が催されるが、僕ら夫婦
もこれに出席、この扇子と送別会のさい撮った父と牧水が一緒の集合
写真を牧水記念館に贈呈する。85年ぶりの”故郷”帰りである。
亡父は大正9年8月31日の天長節から翌10年2月11日の紀元節まで
沼津にいた。たった6か月の勤務だったが、残されたものによると
父はこよなく沼津を愛し仕事も充実していたようだ。残念ながら直接
牧水との交遊については記されていない。が、生前父は僕に「牧水は
駅弁で酒を呑むのが好きだった」と語っていた。父がどんな席で駅弁
を肴に酒を呑み何を語ったのだろうかー。
父は当時37歳、晩婚だったためまだ子供はなく玉突屋(ビリヤード)
の二階に母と妻(つまり僕の祖母と母)と下宿していた。牧水は父より
一歳下の36歳。二人は早稲田大学の同窓だったから多分、酒席では
学生だったころの話も出たことだろう。
いずれにせ牧水が父に贈ってくれた扇子は、父が愛した沼津のしかも
牧水記念館に収めることが出来幸せである。