人生二回転機説がある。僕の場合うち一回は半世紀前の1956年10月ー11月
であった。この年の10月上旬、僕は社会部(新聞社)から外信部へ移動となった。
入社3年多少"きったはった”の取材に”たこ”になっていただけに外電の翻訳が
仕事の異動はショックだった。若かったため記者としての自信さえ失いかけた。
そのときに長女が生まれた。50年たった今ふり返ると人生の転機だったのだ。
その後”外国”とのお付き合いが僕の人生の縦軸になった。
この時期世界も一つの転機であった。10月23日ハンガリー事件が発生した。
ソ連の支配と権力に対して民衆が蜂起し、11月4日にはソ連の軍事介入を招き
1万数千人が殺された。一方、10月29日にはイスラエル軍がエジプトのシナイ
半島に侵入、スエズ動乱が発生した。英仏両軍がこれを支援、エジプト側は運
河に船を沈め航行不能の措置にでた。
この二つの事件は、その後の世界史を変える転機となった。ハンガリー事件
が転機で「プラハの春」が到来、東欧でのソ連型社会主義は消滅した。ワルシ
ャワ条約からの脱退、NATOへの加盟など当時はとても考えられなかった。ス
エズ戦争によって西欧の中東における威信は失墜した。エジプトとイスラエル
との和解も当時は想像も出来なかった。
変わらないのはパレスチナ問題だ。その後も二回戦争が発生、一向に解決の
兆しが見られない。根の深さがうかがえる。
であった。この年の10月上旬、僕は社会部(新聞社)から外信部へ移動となった。
入社3年多少"きったはった”の取材に”たこ”になっていただけに外電の翻訳が
仕事の異動はショックだった。若かったため記者としての自信さえ失いかけた。
そのときに長女が生まれた。50年たった今ふり返ると人生の転機だったのだ。
その後”外国”とのお付き合いが僕の人生の縦軸になった。
この時期世界も一つの転機であった。10月23日ハンガリー事件が発生した。
ソ連の支配と権力に対して民衆が蜂起し、11月4日にはソ連の軍事介入を招き
1万数千人が殺された。一方、10月29日にはイスラエル軍がエジプトのシナイ
半島に侵入、スエズ動乱が発生した。英仏両軍がこれを支援、エジプト側は運
河に船を沈め航行不能の措置にでた。
この二つの事件は、その後の世界史を変える転機となった。ハンガリー事件
が転機で「プラハの春」が到来、東欧でのソ連型社会主義は消滅した。ワルシ
ャワ条約からの脱退、NATOへの加盟など当時はとても考えられなかった。ス
エズ戦争によって西欧の中東における威信は失墜した。エジプトとイスラエル
との和解も当時は想像も出来なかった。
変わらないのはパレスチナ問題だ。その後も二回戦争が発生、一向に解決の
兆しが見られない。根の深さがうかがえる。