「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

大阪場所に八百長相撲はあったか。

2007-03-26 06:04:06 | Weblog
大相撲大阪場所が25日、無事千秋楽を終えた。週刊誌が伝えた八百長
横綱、朝青龍が初日、二日目と連敗し、波乱の幕開けだったが結果的に
は対抗の大関,白鵬が決定戦で横綱をはたき叩きこみ優勝した。数秒足
らづの奇手は、観客をがっかりさせたが、逆にいえば八百長がなかったこ
とを証明した。

わが家は、大げさにいえば一世紀以上の相撲ウォッチャーである。亡父は
明治時代の回向院で横綱、西ノ宮の土俵入を見ており、それを受けた僕も
昭和19年秋の後楽園場所で双葉山の土俵入りを見ている。戦時下両国の
国技館が軍に工場として接収されたため、今のドームのあった球場で野天
10日間興行の珍らしい場所だ。

明治時代から”コンチは相撲”といって八百長相撲はあったらしい。楽日近く
なって十両陥落濃厚の力士が、星勘定のため相手側力士の部屋を”今日は!”
と訪れ金銭を渡し相撲に負けて貰う、つい最近までも7勝7敗の力士が楽日
には必ず勝つと、いった相撲があった。花相撲の怪我を慮る手抜き相撲や無
気力相撲とは違う。大相撲が年二回興行の時は仕方がなかったのかもしれ
ない。

今場所もBS放送で下の相撲から”目を見張って”みたが、僕の目には八百長
相撲はとまらなかった。逆に目にとまったのは久しぶりに日本人若手力士台頭
の兆しをみた。新入幕で敢闘賞を獲得した栃おう山、二度目の技能賞で来場所
三役を狙える豊真将、それに琴奨菊などなど、69連勝の双葉山台頭の時代を
思わせるものがあった。