風邪でダウンして早々と寝ていると、労妻が起こしにきた。孫が新
しい高校の制服を見せに来ているという。なんだかんだで10万円も
したと娘が嘆いていた制服がどんなものかの興味があった。玄関に
は、すでに180cmちかくある、孫が紺のジャケットに濃いグレイの
ズボン、金茶色のネクタイを締めて立っている。老妻にはその姿が
凛々しくみえたそうだ。祖父母バカもいいところだ。
戦中戦後に学生生活を送った僕らには、格別、制服には想い出がな
い。旧制中学に入学した当時(昭和18年)、中学生の制服は国防色
(カーキ色)の軍服、戦闘帽だった。戦後大學(予科)入学時は物資
がなく、制服どころではなかった。クラスの中には復員してきたばか
りの級友が旧将校服を着ていたり、アルバイト先の進駐軍キャンプの
作業服で通学していた。
そんな時でも若者はおしゃれをしたいものだ。戦前の旧制高校の”弊衣
破帽"のバンカラに憧れ、わざわざ学帽に靴墨を塗ったりする者もいた。
当時の学生はほとんどが学帽(角帽)を被っていた。学生が角帽離れした
のは昭和30年代初め頃か?
孫の制服姿をみて、改めてまた、よい時代だなーと思った。戦後はくズ
ボンがなく、教会の慈善バザーで当たった婦人用の布地で母親が急きょ
作ってくれたズボンをはいて登校した時の”十代の春”を想い出す。そ
れより、戦争中のあの国防色一色の時代だけはコリゴリだ。
しい高校の制服を見せに来ているという。なんだかんだで10万円も
したと娘が嘆いていた制服がどんなものかの興味があった。玄関に
は、すでに180cmちかくある、孫が紺のジャケットに濃いグレイの
ズボン、金茶色のネクタイを締めて立っている。老妻にはその姿が
凛々しくみえたそうだ。祖父母バカもいいところだ。
戦中戦後に学生生活を送った僕らには、格別、制服には想い出がな
い。旧制中学に入学した当時(昭和18年)、中学生の制服は国防色
(カーキ色)の軍服、戦闘帽だった。戦後大學(予科)入学時は物資
がなく、制服どころではなかった。クラスの中には復員してきたばか
りの級友が旧将校服を着ていたり、アルバイト先の進駐軍キャンプの
作業服で通学していた。
そんな時でも若者はおしゃれをしたいものだ。戦前の旧制高校の”弊衣
破帽"のバンカラに憧れ、わざわざ学帽に靴墨を塗ったりする者もいた。
当時の学生はほとんどが学帽(角帽)を被っていた。学生が角帽離れした
のは昭和30年代初め頃か?
孫の制服姿をみて、改めてまた、よい時代だなーと思った。戦後はくズ
ボンがなく、教会の慈善バザーで当たった婦人用の布地で母親が急きょ
作ってくれたズボンをはいて登校した時の”十代の春”を想い出す。そ
れより、戦争中のあの国防色一色の時代だけはコリゴリだ。