「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         昭和20年の「都の秋」

2008-10-03 04:46:00 | Weblog
童謡「里の秋」(斉藤信夫作詞,海沼実作曲)の三番にこういう歌詞がある。
  ▽ さよなら さよなら 椰子の島 お舟にゆられて帰られる。
    ああお父さんよ 御無事でよ 今夜も母さんと祈ります
この童謡は昭和16年12月のNHKラジオ歌謡だそうだが、歌の内容は、むしろ
敗戦時の戦地からの復員者を待つ家族の心情にピタリのような気がする。

戦争中南方軍隷下(れいか)にあった軍人、軍属、民間人の総数は30万人ぐ
らいといわれているが、20年8月15日の敗戦後すぐに帰国できたわけではない。
一番早いとシンガポールからの帰国でも翌21年1月から2月にかけてである。
戦犯容疑でジャカルタ沖の獄門島に抑留されていた今村仁・元16軍司令長官
693人が帰国したのは24年12月である。

昭和20年の東京の秋は、廃墟の中であった。大通りの路端には焼けトタンなど
がうず高く積み上げられ、焼け出された家族が焼け材で作ったバラックで風雨
を忍んでいた。若い男性はまだ海外の戦地から帰らず、焼跡整理には当時中
学3年生だった僕らが動員された。10月いっぱい僕らは第一京浜国道の旧品
川区役所付近を担当した。

元シンガポール領事であった篠崎清氏の著書によると、敗戦後、南方各地で
連合軍によって復員までの間強制労働させれて死亡した日本人の数は9千人に
上っている。これは戦争中、泰緬国境のクワイ河の橋の建設で死んだという連
合軍捕虜の数より多いという。

昨日、老人会の歌の会で「里の秋」を合唱、当時を追想した次第。