”灯火親しむの候”-かっては手紙の書き出しの常套句であった。が、IT器機の
普及で、今では僕ら後期高齢者でもめったに手紙を出したり,貰ったりしない。死
語に近い言葉になってしまった。読書週間である。敗戦直後が青春時代であった
僕らには、裸電球の下で読書した”あの頃”が愛おしく、また悲しい。焼け跡ばかり
の時代だ。やたらに停電が多かった。亡父の昭和20年10月の日記には”停電の
ため何もできず”という記載が多く、夜7時過ぎには就寝している。僕も電車の中で
試験勉強をした記憶がある。
”灯火”というと、僕らには”蛍光灯”より”電球”が懐かしい。調べてみると、蛍光
灯が日本で初めて発売されたのは昭和28年との事だ。だから多分、30年代になっ
てから一般家庭に普及したものだろう。37年、僕は初めて外国旅行をし、ロンドンの
ヒースロー空港に着いたときの、オレンジ色の蛍光灯の色が今でも忘れられない。
ネットの普及で、誰もが自分の文章を発信できるようになった。が、これに逆比例した
かのように近年本が売れなくなってきた。あの裸電球の下、虫の声を聞き、羽虫を追
いながらの風景は消えた。好いのか悪いのか。せめて読書週間ぐらいは、青春に帰り、
昔、読み残した「世界文学全集」や明治大正時代の文豪の長編に挑戦したいという気
持ちはあるのだが。やはり、読書は若い時のものだ。人間形成の一生の財産になる
と思う。
(昨日のブログで推測で、伊藤ハムの東京工場敷地周辺には、戦争中軍需工場があ
ったのでは、と書いたが、やはり「毒ガス」室みたいな施設があった、という報道もある)
普及で、今では僕ら後期高齢者でもめったに手紙を出したり,貰ったりしない。死
語に近い言葉になってしまった。読書週間である。敗戦直後が青春時代であった
僕らには、裸電球の下で読書した”あの頃”が愛おしく、また悲しい。焼け跡ばかり
の時代だ。やたらに停電が多かった。亡父の昭和20年10月の日記には”停電の
ため何もできず”という記載が多く、夜7時過ぎには就寝している。僕も電車の中で
試験勉強をした記憶がある。
”灯火”というと、僕らには”蛍光灯”より”電球”が懐かしい。調べてみると、蛍光
灯が日本で初めて発売されたのは昭和28年との事だ。だから多分、30年代になっ
てから一般家庭に普及したものだろう。37年、僕は初めて外国旅行をし、ロンドンの
ヒースロー空港に着いたときの、オレンジ色の蛍光灯の色が今でも忘れられない。
ネットの普及で、誰もが自分の文章を発信できるようになった。が、これに逆比例した
かのように近年本が売れなくなってきた。あの裸電球の下、虫の声を聞き、羽虫を追
いながらの風景は消えた。好いのか悪いのか。せめて読書週間ぐらいは、青春に帰り、
昔、読み残した「世界文学全集」や明治大正時代の文豪の長編に挑戦したいという気
持ちはあるのだが。やはり、読書は若い時のものだ。人間形成の一生の財産になる
と思う。
(昨日のブログで推測で、伊藤ハムの東京工場敷地周辺には、戦争中軍需工場があ
ったのでは、と書いたが、やはり「毒ガス」室みたいな施設があった、という報道もある)