ノーベル化学賞を発光生物学者の下村修氏(80)が受賞した。さきの物理学賞の
南部陽一郎氏(86)と益川敏英氏(68)小林誠氏(64)の二人についで、今年は四
人の日本人が受賞、まさに日本の科学界にとっては最高の年である。金融不安や
暗い事件が多い昨今だけに、日本にとって久しぶりに明るいニュースだ。
日本人として初めて湯川秀樹博士がノーベル賞受賞したのは昭和24年だった。敗
戦後、日本人全体がまだ敗戦のショックで立ち上がれず、沈んでいた頃だった。そ
れだけに、湯川博士の受賞は、明るいビッグ・ニュースで、将来への燭光だった。そ
れは当時生まれた子供に「秀樹」と命名した両親が多いことでもわかる。
化学賞を受賞した下村氏のニュースに関連して、初の地方大学出身という報道があ
った。厳密には下村氏は旧制長崎医学専門学校薬学部卒業だが、これまでのノーベ
ル賞受賞者が,旧帝大系大学の卒業に対して、確かに下村氏は違う。下村氏が卒業
した昭和26年は、旧制から新制への移行期で、湯川博士が受賞した24年は新制大学
が発足した年で、各県に一つ大学が誕生したのを揶揄して評論家の大宅壮一は"駅
弁大学”などといっていた。
僕はたまたま下村先生とほぼ同世代なので、先生の青年時代のご苦労がわかる。先
生の同期は、戦争の激化のため旧制4年で卒業、ほとんど勤労動員で学校に行ってい
ない。大学時代も実験器具の不足していた時代だ。先生が研究用の蛙をご家族と一緒
に捕獲している写真をみた。”一生懸命やれば、なんでもできる。途中で投げ出してはい
けない”という言葉に実感がある。
南部陽一郎氏(86)と益川敏英氏(68)小林誠氏(64)の二人についで、今年は四
人の日本人が受賞、まさに日本の科学界にとっては最高の年である。金融不安や
暗い事件が多い昨今だけに、日本にとって久しぶりに明るいニュースだ。
日本人として初めて湯川秀樹博士がノーベル賞受賞したのは昭和24年だった。敗
戦後、日本人全体がまだ敗戦のショックで立ち上がれず、沈んでいた頃だった。そ
れだけに、湯川博士の受賞は、明るいビッグ・ニュースで、将来への燭光だった。そ
れは当時生まれた子供に「秀樹」と命名した両親が多いことでもわかる。
化学賞を受賞した下村氏のニュースに関連して、初の地方大学出身という報道があ
った。厳密には下村氏は旧制長崎医学専門学校薬学部卒業だが、これまでのノーベ
ル賞受賞者が,旧帝大系大学の卒業に対して、確かに下村氏は違う。下村氏が卒業
した昭和26年は、旧制から新制への移行期で、湯川博士が受賞した24年は新制大学
が発足した年で、各県に一つ大学が誕生したのを揶揄して評論家の大宅壮一は"駅
弁大学”などといっていた。
僕はたまたま下村先生とほぼ同世代なので、先生の青年時代のご苦労がわかる。先
生の同期は、戦争の激化のため旧制4年で卒業、ほとんど勤労動員で学校に行ってい
ない。大学時代も実験器具の不足していた時代だ。先生が研究用の蛙をご家族と一緒
に捕獲している写真をみた。”一生懸命やれば、なんでもできる。途中で投げ出してはい
けない”という言葉に実感がある。