大手企業の”派遣ぎり”が各地から伝えられる。この師走にきて”首”を切られた
人の中には、住む場所さえ追い出された方もいる。昨日、全国187か所のハロ
ーワークに相談窓口が発足したので舛添労働大臣が東京都内の千住「職業安
定所」(ハローワークの旧名)を視察した。職業安定所がハローワークとおかしな
名前に変わった頃から日本の労働行政は”不安定”になってきた、と僕には思え
るのだが。
昭和24年(1949年)4月、政府は緊急失業支援法を公布し、巷(ちまた)にあふれ
る失業者の救済に乗り出した。当時は戦地や外地からの引揚者が多く、戦後の
復旧前なので仕事がなかった。都会にはまだ焼け跡が残っていた時代なので、政
府はこの失対支援法により焼け跡整理を始めた。その時の日給が240円だったの
で,自蔑をこめて”ニコヨン”と呼ばれたが、この緊急対策で路頭に迷わずにすんだ
人が沢山いた。
大分県の国東市と杵築市にはキャノンの工場と関連工場があるが、今回の不況で
非正規労働者1100人が解雇された。両市とも人口3万人代の小さな町だから、この
キャノンの突然の解雇は大変な出来事だ。大都会とは事情が違う。これに対して、
二つ市がいち早く対策本部を設け、市の臨時職員として道路工事などの仕事を提供
したのは快挙である。
年寄りになると、昔のことがよく見えるのだろうか。”ニコヨン”の頃も両市のように
人と人とに助け合いの心があった。”ハローワーク”と呼びかけあっても助けあいの
心がなければなんにもならない。派遣法などといった悪法は見直すべきである。
人の中には、住む場所さえ追い出された方もいる。昨日、全国187か所のハロ
ーワークに相談窓口が発足したので舛添労働大臣が東京都内の千住「職業安
定所」(ハローワークの旧名)を視察した。職業安定所がハローワークとおかしな
名前に変わった頃から日本の労働行政は”不安定”になってきた、と僕には思え
るのだが。
昭和24年(1949年)4月、政府は緊急失業支援法を公布し、巷(ちまた)にあふれ
る失業者の救済に乗り出した。当時は戦地や外地からの引揚者が多く、戦後の
復旧前なので仕事がなかった。都会にはまだ焼け跡が残っていた時代なので、政
府はこの失対支援法により焼け跡整理を始めた。その時の日給が240円だったの
で,自蔑をこめて”ニコヨン”と呼ばれたが、この緊急対策で路頭に迷わずにすんだ
人が沢山いた。
大分県の国東市と杵築市にはキャノンの工場と関連工場があるが、今回の不況で
非正規労働者1100人が解雇された。両市とも人口3万人代の小さな町だから、この
キャノンの突然の解雇は大変な出来事だ。大都会とは事情が違う。これに対して、
二つ市がいち早く対策本部を設け、市の臨時職員として道路工事などの仕事を提供
したのは快挙である。
年寄りになると、昔のことがよく見えるのだろうか。”ニコヨン”の頃も両市のように
人と人とに助け合いの心があった。”ハローワーク”と呼びかけあっても助けあいの
心がなければなんにもならない。派遣法などといった悪法は見直すべきである。