わが家ではここ10数年、暮の買い物に東京では定番の「アメ横」や「築地」へ行か
なくなった。加齢とともに"食”への執着がそれほどなくなったし、あの人ごみの中
へ出かけるのが億劫になってきた。かわりに乗り継げば無料のバスで行ける近く
の「平和通り」商店街へ出かける。
「平和通り」という変わった名前の商店街だが、このあたりは昭和20年5月の空襲
で焼野原になったところだ。多分、戦後、街を復興するさい、地元の人が平和を願
って命名したものだろう。戦後の一時期「平和」とか「新生」とか言う言葉が街にあふ
れていた頃があった。私鉄の駅から離れていて、地の利は悪いが、昭和30年代の
市場を中心に魅力のある商店街だ。何より物価が安い。
クリスマスが終わったら、またぞろ中東のイスラエルとパレスチナとの間でドンパチ
が始まった。1948年のパレスチナ戦争以来、この地では4回も戦争が起きている。
それぞれの理由はあるにしても"懲りない”人たちだ。元はといえば、西欧大国の無
責任な国境の線引きによるものだが、依然として衝突の背後には大国の蔭がチラ
ホラしている。
100年に一度だという不況だが、見た目には「平和通り」商店街は、普段の年と変わ
らぬ賑わいだ。ガザの町のスーク(市場)は戦火でそれどころではあるまい。空襲
で焼け、瓦礫の山だった「平和通り」周辺を知っているだけに改めて「平和」の幸せを
味あった次第である。
なくなった。加齢とともに"食”への執着がそれほどなくなったし、あの人ごみの中
へ出かけるのが億劫になってきた。かわりに乗り継げば無料のバスで行ける近く
の「平和通り」商店街へ出かける。
「平和通り」という変わった名前の商店街だが、このあたりは昭和20年5月の空襲
で焼野原になったところだ。多分、戦後、街を復興するさい、地元の人が平和を願
って命名したものだろう。戦後の一時期「平和」とか「新生」とか言う言葉が街にあふ
れていた頃があった。私鉄の駅から離れていて、地の利は悪いが、昭和30年代の
市場を中心に魅力のある商店街だ。何より物価が安い。
クリスマスが終わったら、またぞろ中東のイスラエルとパレスチナとの間でドンパチ
が始まった。1948年のパレスチナ戦争以来、この地では4回も戦争が起きている。
それぞれの理由はあるにしても"懲りない”人たちだ。元はといえば、西欧大国の無
責任な国境の線引きによるものだが、依然として衝突の背後には大国の蔭がチラ
ホラしている。
100年に一度だという不況だが、見た目には「平和通り」商店街は、普段の年と変わ
らぬ賑わいだ。ガザの町のスーク(市場)は戦火でそれどころではあるまい。空襲
で焼け、瓦礫の山だった「平和通り」周辺を知っているだけに改めて「平和」の幸せを
味あった次第である。