「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

   「ジャワ更紗(さらさ)」がユネスコ文化遺産に

2009-10-01 04:58:08 | Weblog
「ジャワ更紗」の名前で日本人にも親しまれてきたインドネシアにロウケツ染め
(batik)がユネスコ(国連教育文化機構)の無形文化遺産として認定され、インド
ネシアでは、これを記念して10月2日を「batikの日」にし国民にbatikのシャツを
着るよう呼びかけている。

「ジャワ更紗」がいつ日本に到来したのかはっきりしないが、鎖国時代オランダの
東インド会社の雇人として長崎にきたジャワ人によってもたらされたようだ。これが
九州各地に伝わり、江戸時代中期には天草の御領村では「天草更紗」の名前で
製作されている。

大正14年、北原白秋が「赤い鳥」に発表した「酢模(すかんぽ)の咲く頃」という歌
詞には”土手の酸模 ジャワ更紗”とある。白秋は幼少時福岡の柳川に住んでいた。
当時家の近くの土手に咲いていた酸模の花が「ジャワ更紗」の模様に似ていた様
を歌にしたものだ。

20年ほど前、東京のインドネシア大使館主催の文化講座で,ガジャマダ大學(ジョク
ジャカルタ)の先生から「ジャワ更紗」の話を聞いたが、本来の更紗の模様は手書き
で、染めは濃い茶色や藍色が主流だとのこと。現在でも手書きはあるが、高価で市
販のものはcapという型判によるものだ。染織も中部ジャワ以外の土地の更紗は赤と
か黄色といった原色もある。

現在インドネシアではジャワ島以外の土地でもbatikの長袖のシャツは冠婚葬祭の際
の正式な礼服として公認されている。