「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

   ”井戸掘り”の苦労  ある地方民放創始者の死

2009-10-06 04:43:18 | Weblog
昨日、郡山の福島中央テレビの社長だった今泉正顕氏の「お別れの会」に参列した。
今泉氏は同テレビ創立時の地元経営陣の一人で、40年前、僕も東京キー局から派
遣されて一緒に”生みの苦しみ”を味わった仲だ。「お別れの会」には福島県の佐藤
雄平知事、原正夫郡山市長も参列されて弔辞を読み、丹治一郎郡山商工会議所会
頭が葬儀委員長をつとめられた。会場には1500人の方が参席、それでも入れない方
がホテルロビーのテレビで故人にお別れを告げた。

今泉氏は、旧奥州街道「郡山宿」本陣の出で、40年前テレビ創立時は商工会議所の
専務理事であった。僕より4歳年上だから当時はまだ40歳を少し出たばかりの若さだ
ったが、大人の風格があった。そして、当時の流行の言葉でいえば”アイディアマン”
であった。まず、氏が社員採用にさいし、打ちだしたのは”10年定年制”であった。社
員は10年単位で契約を結び、契約が切れたらその都度契約をしなおそうというものだ。
結局、この制度は廃止になったが、開局時の社員の志気高陽には効果があった。

40年前、UHF局としてスタートした頃は、テレビの受像機は変換器(コンバーター)を取
り付けないと見えなかった。営業はCMを売るより、まず電気屋さん周りをしてコンバー
ターの普及から始まった。今泉氏の提案で開局時から始まった、福島県内を4地区に分
けて各地区の有力者をキャスターに呼んで、その地区のニュースを伝える番組はざん新
で営業面でもプラスになった。

笑顔を一杯にたたえた今泉氏の祭壇に献花する当時の”10年契約”社員もすでに第一線
から退いている。改めて井戸を掘った人の苦労を偲んだ。