「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     強制疎開住宅撤去作業中に原爆死した中学1年生

2011-08-06 07:31:34 | Weblog
66回目の広島原爆忌である。僕は現役中仕事の関係で広島出張が多かったが、必ず平和記念公園を訪れ、本川左岸に建つ旧制広島2中(現観音高)遺族会が建立した慰霊碑を詣でることにしている。この慰霊碑は原爆で死亡された同校の生徒344人と教職員8人を祈念して戦後建てられたものである。

僕は広島2中の関係者ではないが、原爆投下時、東京の中学3年生で、亡くなられた方々とほぼ同年齢だけに、とくにこの慰霊碑には心がうたれる。慰霊碑に関するHPによると、原爆死された方の大半(321人)は中学1年生で、爆心地近くの中島新町で強制疎開建物の撤去作業に動員中に災難にあっている。

僕も昭和20年4月頃、東京の京浜急行雑色駅前の疎開建物の撤去作業に動員されたことがある。またわが家も3月10日の下町大空襲の直後、政府の命令で1週間以内に撤去せよとの命令で壊されている。当時、この作業のことを僕らは”疎開のぶっ壊し”と呼んでいた。もちろんブルドーザーなどの重機などなく、人力による作業で大人の指導で僕らは、大黒柱にかけられた荒縄を”一、二、三”と引っ張つて壊した。

原爆が投下された午前8時15分、亡くなられた広島2中1年生の1組から6組までの231人は、作業開始前の先生の注意を聞いて、これから作業に取り掛かろうとした瞬間に犠牲になった。中学1年生といえば、まだいたいけな12,3歳の少年である。4か月前に希望に燃えて広島2中の校門をくぐった少年であった。僕の旧友の一人は東京からわざわざ広島に疎開して犠牲になっているが、どこで亡くなったのか今もって判らない。核兵器の犯罪である。ノーモア・ヒロシマだ。