「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          慰霊碑の維持は心がなければ

2011-08-19 06:44:31 | Weblog
中国国竜省方正県の中日友好園の中に7月建てたばかりの旧満州開拓団員の慰霊碑が反日団体の手で破壊されたという。この慰霊碑は方正県が日本からの投資を期待して建立したもので、日本政府も友好民間団体も建立費は出していないというが、慰霊碑の裏面には亡くなられた開拓団員の方の名前が書かれてある。

このニュースを知って僕は多少事情は違うが、インドネシアのスラウエシ島マナド(メナド)の市民墓地にあった堀内豊秋・落下傘部隊長の慰霊碑「霊魂」のことを想起した。堀内隊長は日本初の落下傘部隊の隊長で、占領後の善政で住民に慕われていた。戦後だいぶ経ち、落下傘部隊の戦友たちが大勢同地を訪れることが可能になった頃、マナドの一旅行社が戦友会に申し出てこの慰霊碑を建てた。平成13年、僕が訪れた際には慰霊碑はまだあったが、周囲は雑草が茂り荒れていた。しかし、最近現地からの情報では「霊魂」の慰霊碑は撤去されてしまったようである。

インドネシア・カリマンタン島のバリックパパン郊外のマンガル海岸に「南方方面戦没者慰霊碑」がある。この地は戦後、いわゆるBC級裁判で犠牲者が処刑された所で、復員までの収容所もあった。最初、カリマンタン戦友会の有志はここに資金を出し合って小さな慰霊碑を建てたが、いつかその慰霊碑は撤去されて今ある大きな慰霊碑にとって換わられた。この慰霊碑の建立者は「鎮魂の国奉賛会」という団体で、東カリマンタンの戦友会や遺族とは関係がない。建立の意図もはっきりいないし、きちんと維持されていない。

昭和30年1月から3月にかけて政府の遺骨収集船「大成丸」が南太平洋のラバウルなどの激戦地を回り、5000体以上の遺骨を収集、そのあと簡単な仮の慰霊碑を建てた。しかし、今この慰霊碑のほとんどは忘れられて朽ちたものもある。ある程度遠隔の地であり、英霊には申し訳ないが仕方がないとも思う。しかし、マレーシア・サバ州のラブハン平和公園の中にある政府の建てた慰霊碑はどうだろうか。ラブハンは免税の観光地であるが、ここを訪れる日本人は過去の戦争のことを知らない。維持はきちんと行われているのだろうか心配だ。