「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       半年後には支払られた強制疎開補償金

2011-08-28 06:03:16 | Weblog
66年前の昭和20年8月28日の亡父の日記である。「品川区役所に行き苦心惨憺折衝の末、ようやく半年ぶりに疎開家屋の補償金解決。青物横丁(地名)の安田銀行で、9020円受け取る。夕食に臨時配給の日本酒を飲む。嬉しいことばかりである」

わが家は20年3月10日の下町空襲の直後、1週間以内に出て行け、との政府命令で家屋を破壊された。空襲のさいの延焼を防ぐのが目的だった。借地だったが、家は自分のもので二階建て、今流にいえば4Kで、築10年ぐらいであっただろうか。この補償金が半年ぶりに支払われたわけであるが、今考えると、国は戦いに負け、行政機能が混乱していた時代に"苦心惨澹の折衝”だったとはいえ、よく支払られたものだ。

9020円という補償金の額は今でいうと、いくら位であろうか。この時代はものすごいインフレの時代で参考になるかどうか判らないが、前年19年19月の父の日記に転職したさいの月給が210円、わが人生で最高という記述がある。また翌21年2月の"新円切り替え”のさいの一家族一か月の金融機関からの引き出し額限度が300円とある。これからみると、かなりの額であった。

補償金を貰えたのはラッキー中のラッキーだった。東京だけでも数十万家族が焼け出されたが、一銭も補償金も見舞金も貰っていない。地域によっては、長野市のように消失家屋に100円支払われた記録もあるが、大半の犠牲者は罹災証明証が一枚渡され、全国の国鉄(JR)が無料だったぐらいであった。

今回の大震災は戦災とは違うが、原発事故で故郷を強制的に避難させられた人たちへの補償金はどうなっているのだろうか。半年経過しても仮払い金だけのようである。これでは将来への生活設計もできない。複雑な問題はあるが、出来るだけ早く問題を解決すべきである。