「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

    ソ連の参戦 長崎原爆、御前会議 ポツダム受諾

2011-08-10 06:31:44 | Weblog
長崎に原爆が投下され昭和20年8月9日の亡父の日記によると、亡父は”午前10時半大東亜省に寄って出勤、昼食そこそこに帝国ホテルの岡崎勝男(戦後外相)の講演会に行く。席上、日ソ開戦、容易ならざる事態発生の発表あり憂鬱の気に閉ざされる”と書いている。ソ連が日ソ平和条約を一方的に破棄し、満州などに侵入してきたのは、この日の未明(日本時間)である。一方、長崎へ原爆が投下されたのは午前11時2分である。時間の経過からみて恐らく岡崎氏は長崎原爆を知らずに講演したと思われる。わが国が天皇陛下臨席で御前会議を開き、無条件降伏のポツダム条約を受諾したのは、9日の深夜である。

当時、亡父は定年後の仕事として大東亜省外郭団体の嘱託職員をしていたが、日記には広島原爆については一切触れていない。新聞は7日の朝刊で「広島へ敵新型爆弾、B-29数機で相当な被害」と小さな見出しで報道、翌8日には一面トップで広島への新型爆弾を扱っているが、当時61歳の亡父は多分、軍事知識がなく事の重大さを理解できなかったのだろう。

亡父の11日の日記には”今日も昨日に引き続き不快な情報を聞く”と短く記されているが、昨日(10日)は無条件で降伏を決定した御前会議のあった翌日である。亡父は多分、勤務先の関係で早くも日本が負けたことを知っていた。しかし、情報が情報だけに多言するわけには行かず、普段どおりの生活をしており、勤務後渋谷にあった「国民酒場」で友人とウイスキーを飲んだりしている。さらに13日の日曜日には葉山へ友人と海水浴へ行き“初泳ぎ”をしている。

しかし、14日の日記の欄には赤字で大書して”記憶せよ!この日!”と記し”過去5年にわたる大東亜戦争今日をもって終了”と書いてある。同時に日記には”夜9時半のラジオニュースで明日(15日)正午重大発表あり”と書いている。天皇陛下の”玉音放送”を待たず、一部の日本人は事前に敗戦を知っていた。珍しいケースだと思うが紹介してみた。