「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

              大東亜戦争と”焚火(たきび)”

2012-12-07 06:51:13 | Weblog
毎年この時季になると不思議と”焚火”が想い出される。71年前の昭和16年12月8日、大東亜戦争が勃発した朝、僕は家の隣の空き地で焚火にあたっていた。まだ国民学校(小学校)5年の子供だったが、その朝のことをはっきりと覚えている。家のラジオから米英両国に対する宣戦布告のニュースが流れ、ついで陸海軍がハワイをはじめ各地で戦闘状態に入り、マレー半島の敵前上陸に成功した、と言う戦果が流れてきた。

当時の東京は区部でもまだ空き地が多く、早朝の出勤登校前、近所の人たちが集まって空き地で焚火で暖をとる習慣があった気がする。それだけ焚火は人々の日常の生活に身近なものだった。
                   ♯ たき火(作詞 巽聖歌 作曲 渡辺茂)
                垣根の垣根の曲り角 たき火だたき火だ 落ち葉たき
                暖ろうか暖ろうか 北風ぴゅうぴゅう吹いている
                山茶花 山茶花咲いている たき火だ焚火だ 落ち葉たき
                暖ろうか暖ろうか しもやけお手てがもうかゆい

この歌は戦争勃発の翌日の9日と10日にNHKラジオの「小国民の時間」の歌のコーナーで発表される予定になっていたが、突如軍部から”この非常時に何事だ”と横やりが入り中止された。あの時代が想い出される。この童謡が改めて世に出たのは戦後になってからとの事だが、戦争には関係なく戦前の東京の冬の様子がよく描かれている。戦前の東京の山の手の住宅地には垣根が多かったし、山茶花が咲くころには北風がぴゅうぴゅう吹いていた。そして”しもやけ”や”ひびわれ”の手をしている子供たちが多かった。

今、東京ではたき火は都環境条例によってダイオキシン類を発生させ、人の健康や生活に支障をきたすとの理由から禁止されているという。僕のような古い人間には、なにか季節の風物詩を奪われたようで寂しい。