”石の上にも3年”自公が政権を奪還、安倍晋三氏が96代目の総理に就任した。一度辞任した総理が再び返り咲くのは戦後では64年前吉田茂以来とのことだ。吉田茂の名前を聞いて、戦後すぐの頃に青年時代を送った僕は昔の事が懐かしくなり、ちょっと戦後の政治史を振り返ってみた。
吉田茂第1次内閣は敗戦直後の昭和21年5月から22年5月までの368日と短期間であった。これは第1次安倍内閣の在位366日間のときしくも似ている。戦後の食糧事情の悪化と労働攻勢に耐えられず辞任、そのあと日本社会党、民主党、国民協同党連立による片山、芦田内閣が続いたが、長続きせず23年、再び吉田茂が登板、第2次内閣がスタートした。
吉田内閣はこの後第5次まで、なんと6年2か月も続いている。連合軍占領下の難しい時代から主権回復までの期間である。その間”バカ野郎”解散(28年)といった強引な手法もあったが、今振り返ると見事なかじ取りであった。吉田茂の合計在位期間は2666日で、これは歴代4位である。歴代1位は明治時代の桂太郎(2886日)だが、2位は安倍総理の大叔父佐藤栄作の2798日、祖父の岸信介も1241位で第9位である。
発足した安倍内閣は「危機突破内閣」を謳っている。3年3か月の民主党の失政で外交も経済も国家の安全も危機状態である。まずは危機突破であるが、来年の参院選挙で勝利して安定した後は、大叔父、祖父にならって長期政権を目指してほしい。長期安定政権こそが危機突破への道である。
吉田茂第1次内閣は敗戦直後の昭和21年5月から22年5月までの368日と短期間であった。これは第1次安倍内閣の在位366日間のときしくも似ている。戦後の食糧事情の悪化と労働攻勢に耐えられず辞任、そのあと日本社会党、民主党、国民協同党連立による片山、芦田内閣が続いたが、長続きせず23年、再び吉田茂が登板、第2次内閣がスタートした。
吉田内閣はこの後第5次まで、なんと6年2か月も続いている。連合軍占領下の難しい時代から主権回復までの期間である。その間”バカ野郎”解散(28年)といった強引な手法もあったが、今振り返ると見事なかじ取りであった。吉田茂の合計在位期間は2666日で、これは歴代4位である。歴代1位は明治時代の桂太郎(2886日)だが、2位は安倍総理の大叔父佐藤栄作の2798日、祖父の岸信介も1241位で第9位である。
発足した安倍内閣は「危機突破内閣」を謳っている。3年3か月の民主党の失政で外交も経済も国家の安全も危機状態である。まずは危機突破であるが、来年の参院選挙で勝利して安定した後は、大叔父、祖父にならって長期政権を目指してほしい。長期安定政権こそが危機突破への道である。