「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         あるインドネシア大好き元兵士の葬儀

2012-12-15 07:28:44 | Weblog
知り合いの埼玉県伝統工芸士(草加本染め浴衣)の押田勝次さんが92歳の天寿をまっとうして他界された。昨日僕は葬儀に列席したが、式場は各方面から贈られた生け花で飾られ、最後の別れを告げる人が後を絶たなかった。最近、葬儀は家族葬という形で簡素化されているが、出来るのなら、こういった盛大なご葬儀で故人をお送りしたいものだ。改めて生前の押田さんの暖かい人徳が偲ばれた。

式場の一角には故人の生前の写真が展示されていた。中央には押田さんの軍刀を手にした近衛歩兵四連隊(近歩四)時代の写真が飾れれていた。押田さんは戦時中、近歩の兵士としてスマトラ(インドネシア)に従軍、インド洋のアンダマン諸島の上陸作戦では、敵の銃弾が背中にあたり4か月の重傷を負った。しかし、その後もアチェのジャングルの中で敗戦まで防衛の軍務についた。

押田さんはインドネシアが大好きだった。戦後、何回もスマトラを中心にインドネシアを旅行している。式場の写真展示場にもその時の写真が沢山あった。僕は10数年前、インドネシアの軍政について調査していた時、押田さんと知り合った。ある時、押田さんに”なぜ、そんなにインドネシアが好きなのか”とぶしつけに尋ねたら”戦時中ジャングルの中で歯痛に苦しんでいた時、住民が一晩中看病してくれた心の温かさだ”ということだった。押田さんは戦後復員の際”ジャングルで使った”火打ち石”を記念として持ち帰った。

2000年頃、インドネシアから戦後同地に残留した旧日本兵の二世、三世が仕事を求めて大挙して来日したが、押田さんは、職のない彼らを親類の染工場に世話をし、親身になって世話をした。ご高齢のため、昨日の葬儀には苦労を共にした近歩四の戦友の参列者は一人もいなかったが、代わって僕は戦友の分を含めて合掌した。こうした先人たちの隠れた苦労も次の世代に伝えたいものだ。