「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      インド洋での”太平洋戦争”で戦った先輩の死

2012-12-12 06:52:57 | Weblog
昭和16年12月12日の亡父の日記の欄外に赤字で「今次対英米戦と支那事変を含めて大東亜戦争と呼ぶことになる」とある。当然だが僕らは戦時中「大東亜戦争」と呼び「太平洋戦争」などと言ったことはない。宣戦布告の大詔が下った12月8日を喚起するため、毎月8日は「大詔奉戴日」とし、学校や職場では国旗を掲揚し、君が代を歌う儀式があった。

その大東亜戦争をインド洋の孤島、アンダマン、ニコバルで戦って背中に貫通銃創を負った先輩のOさん(91)が昨日亡くなった旨ご遺族から通知があった。アンダマン、ニコバルはインド洋上にある孤島だが、作戦上の要衝で、Oさんは昭和17年3月、近衛歩兵4連隊の兵士として小舟に乗り、上陸作戦に参加したが、不幸にも敵の銃撃に会い海上に投げだされ負傷した。

戦後、僕はOさんの紹介で、近衛歩兵4連隊(近歩四)の戦友会にオブザーバーとして参加したが、戦友会にはOさんのほかにもシンガポール上陸作戦で右足を失ったKさんもいた。近歩四はマレー上陸作戦では近衛師団の一翼を担い、シンガポール上陸作戦にも参加、ついでアンダマン、ニコバル作戦にも従軍していた。

「大東亜戦争」という呼称は戦後いつの間にか、アメリカにならって「太平洋戦争」となってしまった。しかし、戦争はアンダマン、ニコバルだけでなく、緒戦時にはインド洋上での海軍空母から飛び立った戦闘機が、英国領であったセイロン(スリランカ)の首都コロンボを白昼空爆している。戦後変な風習で「大東亜戦争」というと、戦争を美化する特別な人間視されるが、事実関係だけでも「太平洋戦争」と呼ぶのは間違っていておかしい。