NHKの新しい朝の連続ドラマ「花子とアン」が始まった。初日の関東地区の視聴率は21.8%となかなか出足がよいようだ。ドラマは昭和の初期,カナダ人作家モントゴメリーの小説「赤毛のアン」などの翻訳家として知られる村岡花子さんの半生を扱ったものだが、戦時中”銃後の小国民”だった昭和1ケタ世代には、村岡さんはNHKラジオの「子どもの時間」(のちに「小国民の時間」)のおばさんとしてのほうが有名だ。
村岡さんは、まだラジオの創生期であった昭和7年から17年まで10年間も夕方放送されていた「子どもの時間」に出演、子供向けに易しくニュースを放送していた。ラジオが唯一のニュース源であり娯楽であった当時である。その時代の子供たちはみな、村岡花子さんの名前を知っていた。とくに番組の最後に村岡さんンがいう”さようなら、ごきげんよう”という独特のアクセントの言葉は今でも覚えている人が多い。
村岡花子さんは明治26年6月、甲府の生まれ。ドラマは今幼児期から教育熱心な父親の影響をうけて上京するまでをやっているが、その後彼女は東京の品川の城南小学校を卒業、ミッション.スクールに入学、英語をマスターし翻訳家としての道を進むのだが、たまたま僕の亡母が村岡さんと同年生まれだけに明治のこの時代の女性の考え方がよく解かるし、母も同じ品川の小学校を卒業しており親近感がある。
「小国民の時間」のテーマ音楽は、当時占領下にあった、南方(マレー、インドネシア)の民謡「ノナ.マニス」と「ラササヤ」を編曲したものであったことを後年知った。村岡花子さんの当時の「小国民の時間」のお声が残っていたら、ドラマのどこかで「ノナ.マニス」「ラササヤ」のテーマ音楽とともに聴きたいものである。
村岡さんは、まだラジオの創生期であった昭和7年から17年まで10年間も夕方放送されていた「子どもの時間」に出演、子供向けに易しくニュースを放送していた。ラジオが唯一のニュース源であり娯楽であった当時である。その時代の子供たちはみな、村岡花子さんの名前を知っていた。とくに番組の最後に村岡さんンがいう”さようなら、ごきげんよう”という独特のアクセントの言葉は今でも覚えている人が多い。
村岡花子さんは明治26年6月、甲府の生まれ。ドラマは今幼児期から教育熱心な父親の影響をうけて上京するまでをやっているが、その後彼女は東京の品川の城南小学校を卒業、ミッション.スクールに入学、英語をマスターし翻訳家としての道を進むのだが、たまたま僕の亡母が村岡さんと同年生まれだけに明治のこの時代の女性の考え方がよく解かるし、母も同じ品川の小学校を卒業しており親近感がある。
「小国民の時間」のテーマ音楽は、当時占領下にあった、南方(マレー、インドネシア)の民謡「ノナ.マニス」と「ラササヤ」を編曲したものであったことを後年知った。村岡花子さんの当時の「小国民の時間」のお声が残っていたら、ドラマのどこかで「ノナ.マニス」「ラササヤ」のテーマ音楽とともに聴きたいものである。