「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

オバマ大統領にとっての高級寿司の味 屋台のサテの味

2014-04-24 06:56:03 | Weblog
国賓として来日したオバマ大統領が昨夜、安倍総理の”おもてなし”で銀座の高級寿司店でご馳走になった。ギネスにも載っている店だそうで”おまかせ.コース”でも3万円もするとのこと。僕ら庶民にはとうてい”高嶺の花”だが、難問山積する日米関係が、少しでも前進すれば安いものではない。大統領は食後の感想として”人生の中で一番おいしい寿司だ”と述べていたそうだ。

オバマ大統領は食通であるかどうかは知らないが、彼のことを記述した本の中には飲食の話が多い。大統領は1967年、8歳の時、米国人の実母アンさんの再婚にともない、義父のインドネシア人の地理学者、ストロ氏の故国ジャカルタに移住、5年間住んでいる。僕も同じころ新聞社の特派員として、インドネシアに在勤していたことがあり、懐かしさから当時のオバマ少年の事を書いた本を読んだ。一家がハワイから移住してすぐ住んだメンテン.ダラムというジャカルタ西部の新興住宅街であった。

オバマ少年はカトリックの修道会の経営する幼稚園に通園しインドネシア語を学んだが、すぐに新しい地の空気に馴染み1年間で現地の言葉には不自由がなくなった。オバマ少年は、近所の少年とたちまち仲良くなり、屋台で平気でシンコン.ゴレン(キャッサバを炒めたもの)や現地の激辛のケチャップにもなじんだ。(後年オバマ少年は大統領に就任した際、インドネシアを再訪する機会があれば、屋台で焼きそばやサテ(焼き鳥)が食べたいといっている)

オバマ一家がインドネシア在住時は、1965年9月30日の政変の影響で、ものすごいインフレでインドネシア経済は破綻状況にあった。庶民の生活は苦しく僕らがレストランで食事をすると、残飯をねらっている子供が店の外に待っていた。多分、オバマ少年も記憶の中に当時のインドネシアの貧困さが印象として残っていると思う。ジャカルタ市内に始めて日本料理店が出来たのは1968年で、寿司店など一軒もなかった。それにしても世界の食文化も僅か半世紀たらずで変化したものだ。日本の首相が米国の大統領を寿司で接待するとは、50年前には考えも及ばなかった。