「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

徴用工慰霊碑と謝罪

2014-04-19 05:43:23 | Weblog
群馬県高崎市内の県立「群馬の森」公園内に「朝鮮人追悼碑」がある。戦争中朝鮮半島から県内の工場や工事現場に徴用され事故や過労で死亡した朝鮮人をを追悼する目的で平成16年に建てられた。外国人の森林研修で10年ほど前、僕はこの公園を訪れたことがあるが、静かな環境の中にあり、樹種も多く子供の森に対する関心を深めるには最適の場所だ。「朝鮮人追悼碑」は県の許可を得て建てられたそうだが、何故、県が直接、戦時徴用には無関係な碑の建立を許したのか理解できない。

産経新聞の記事(4月18日首都圏版1面)によると、県内の複数の団体から「朝鮮人慰霊碑」の許可取り消しを求めて県議会に請願が出ている。理由は”平和団体”が、慰霊碑の前で、日本政府は徴用工の強制連行に対して謝罪せよ、と政府の歴史認識を批判する行事を定期的に開催している―ことなどである。ご存知のように韓国の裁判所は昨年11月、戦時中、日本の企業で働いていた徴用工に対して謝罪すべきだという判決を出しているが、この問題は1965年の日韓基本条約で解決済みである。

「群馬の森」の「朝鮮人慰霊碑」的な碑は九州のかっての炭鉱地、大牟田をはじめ各地にある。数年前、長野市の松代旧大本営跡を訪れたが「朝鮮人慰霊碑」が入口にまるで”庇を貸して母屋を取られる”形で立っており、碑文には”朝鮮植民地の象徴となる日本のアジア侵略の歴史とその反省を永久に刻む”とあった。

戦争末期、僕の従姉の亭主であった呉服店店主も徴用工として軍需工場で”強制的”に働かされた。日本人であった朝鮮半島の人たちも同じであった。僕が学徒動員されて働いていた多摩川のガス橋近くの軍需工場にも大勢の朝鮮半島からの徴用工が働いていた。工場から近い武蔵新田駅の近くには「慰安所」があり、日本人に混じって朝鮮人の慰安婦も働いていた。当時はこういった時代であった。