「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

恩讐を超えた日比友好

2015-06-05 05:39:39 | Weblog
国賓として来日したフィリピンのベニクノ.アキノ(三世)大統領歓迎晩さん会の席上、天皇陛下が乾杯に先立ち、先の戦争で同国で多くの犠牲者が出たことに触れ、深い痛恨の心と共に、長く忘れてはならない、と挨拶された。フィリピンでは戦争末期の昭和19年から20年にかけて、米軍の再上陸作戦によって、日本軍は大戦史上、最大の34万人の戦死者を出し、一方この戦闘に巻き込まれ10万人もの民間人が犠牲になっている。

千葉県銚子市の太平洋を見下ろす”地球が丸く見える”公園の展望台の一角に「日比友好の碑」が建っている。昭和33年4月、当時の岸信介総理とガルシア大統領が碑文を記し、作家の尾崎士郎氏が”ここに、われらが恩讐を絶する日比両国の戦友百数万人の霊を慰める記念碑を建てる”との撰文があり,炎型したモニュメントには「雲へだつ ふたつの国の同胞の 慨き乗り越え かたく結ばれ心とこころ 友愛の浄火 仄々と永劫不滅 ああ燃えに燃えろ」と書かれた日比友愛の歌が刻まれている。

ベニクノ.アキノ家は、マニラ郊外のタルラック州の出身で、戦時中、近くのマバラカットには神風特攻隊の基地があり、現大統領の厳父(二世)は少年時代、特攻隊員を知己があり、戦後、この地に特攻隊員の慰霊碑が現地の人によって建てられたが、火山の爆発により埋没してしまった。しかし、今でも毎年、関係者によって慰霊祭が行われていると聞く。 

広島、長崎に原爆が落とされから70年、米国の大統領は一度も被爆地を訪れたことがない。東京、大阪、名古屋、横浜など大都会では空襲によって無辜の市民が十数万にも亡くなっているが、謝罪の言葉を聞いたこともない。 アジア人とヨーロッパ人との心の違いなのだろうか。