今朝(7日)4時からのNHK「深夜便」”昭和史を味あう」再放送の後半部分をたまたま耳にしたところ、昭和史研究家の保坂正康氏が、大平洋戦末期の話の中で、東條英機首相の戦陣訓から彼の精神論を強く批判していた。そのあとでNHKが当時の国民歌謡として「ジャワのマンゴ売り」「南の花嫁さん」「南から」の三曲を紹介していた。いずれも17年(1942年)から18年初期の歌で、少年だった僕は地図の上で占領地を赤く塗りつぶし、勝利を喜び歌ったものだ。
しかし、保坂氏のこの日の話からすれば、このNHKの選曲は誤っている。保坂氏はサイパン陥落以後の東條内閣の政策批判や当時の世相の話をしており果たして「ジャワのマンゴ売り」で象徴されるような緒戦の勝利の甘い歌は適していいるだろうか。保坂氏のこの日の話からすれば、当時、大政翼賛会が選曲した”出せ一億の底力の「進め火の玉」や海軍の軍隊勤務を歌った「月月火水木金金」あるいは敗戦近くに歌われた”出てこいミニッ、マカッサー、出てくりゃ地獄へ逆落とし”(比島決戦の歌)の方が適していると思う。
ちょうど70年前の昭和20年6月8日の亡父の日記帳に”息子、勤労報国のため、勇んで千葉県柏町に進発する”とある。忘れもしない僕はこの日上野の西郷さんの銅像の前に集合、常磐線に乗って柏に向かい、東武野田線に乗り換えて「運河駅」の利根川運河の浚渫現場に向かった。沖縄戦は敗北に向かい、次は本土上陸だといわれて時代である。中学3年ながら死を覚悟して連日モッコ担ぎの重労働に耐えた。
記憶はあまり定かではないが、その頃、すでに東條首相に対する批判は国民の間で出ていたが、亡父の日記のようにほとんどの国民は”報国”の念に燃えていたのではないか。戦争の僅かな体験者だが、”昭和を味あう”という気持ちにはとてもなれない。いわんや、なんらかの誤った意志が働いた歌の選曲に怒りさえ感じる。
しかし、保坂氏のこの日の話からすれば、このNHKの選曲は誤っている。保坂氏はサイパン陥落以後の東條内閣の政策批判や当時の世相の話をしており果たして「ジャワのマンゴ売り」で象徴されるような緒戦の勝利の甘い歌は適していいるだろうか。保坂氏のこの日の話からすれば、当時、大政翼賛会が選曲した”出せ一億の底力の「進め火の玉」や海軍の軍隊勤務を歌った「月月火水木金金」あるいは敗戦近くに歌われた”出てこいミニッ、マカッサー、出てくりゃ地獄へ逆落とし”(比島決戦の歌)の方が適していると思う。
ちょうど70年前の昭和20年6月8日の亡父の日記帳に”息子、勤労報国のため、勇んで千葉県柏町に進発する”とある。忘れもしない僕はこの日上野の西郷さんの銅像の前に集合、常磐線に乗って柏に向かい、東武野田線に乗り換えて「運河駅」の利根川運河の浚渫現場に向かった。沖縄戦は敗北に向かい、次は本土上陸だといわれて時代である。中学3年ながら死を覚悟して連日モッコ担ぎの重労働に耐えた。
記憶はあまり定かではないが、その頃、すでに東條首相に対する批判は国民の間で出ていたが、亡父の日記のようにほとんどの国民は”報国”の念に燃えていたのではないか。戦争の僅かな体験者だが、”昭和を味あう”という気持ちにはとてもなれない。いわんや、なんらかの誤った意志が働いた歌の選曲に怒りさえ感じる。