「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

キナバル山の遭難とアピ事件

2015-06-08 05:15:37 | Weblog
東南アジア最高峰の山キナバル山(ボルネオ.マレーシア)に登山中、M6.0の地震に遭遇、地滑りに巻き込まれて日本人一人が犠牲になった。キナバル山は4024Mの高峰だが、一泊ニ日で登山できるほど安全な山で、マレーシア観光局でもお薦めのコースの一つである。とくにキナバル山の山麓の町、コタ.キナバルは雄大な自然と伝統文化に恵まれ、日本から僅か5時間半で行ける。孫も昨年、一人旅を楽しんできた。

コタ.キナバルは、戦前、英国植民地時代には植民民地会社の社長の名前を取って、ジェセルトンと呼ばれていたが、昭和17年、日本軍が占領、軍政を敷いてから、もともとの原住民地名であったアピ(火)に変更した。当時の模様について報道班員であった堺誠一郎氏が同僚のカメラマンと一緒に二週間旅行した模様が「キナバルの民、北ボルネオ紀行」(中公文庫)に収められている。堺氏は旅行前、ピストルを準備、現地警察官に警備を依頼したほどだったが、全くその心配はなく安全な旅であった。

ところが、1年余月で情勢が一変し、18年10月10日の「双十節」(中華民国建国記念日)を期して、アピ在住の華僑が一斉に蜂起して、市内の日本軍関係の建物を襲い、郊外の農園では邦人50名が惨殺されている。この事件の頃から戦局も悪化し、現地日本軍の誤った作戦もあって、意味のない”死の行進”で、アピ周辺のジャングルで数千人もの日本軍兵士が亡くなっている。

「アピ事件」に関連し、当時現地では400人もの住民が逮捕され、処刑されたといわれており、今でもその慰霊祭が行われているが、堺誠一郎氏は戦後”「アピ事件」などを考えると、自分たちの呑気な旅行は、何か悪いしたことをしたかのような苦しさを覚える”と述懐している。一つの地名にも色々歴史が秘められているので紹介。