「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

意義があるのか不確かな”自虐史”の新たな掘り起し

2015-07-16 06:21:07 | 2012・1・1
知人から宅急便でどっさりと資料が届いた。こちらからお願いしているわけではなのだが、このように毎日ブログを更新している僕にとっては助かる。その資料の中に、最近昭和史研究家としてNHKラジオにも出演しているH氏がある雑誌に書いている「戦場体験者の記憶と記録」の原稿コピーがあった。原稿の内容は戦争中、北スラウェシ(インドネシア)のサギへ島(Sangihe)島での虐殺であった。10年ほど前、僕が「大東亜戦争とインドネシア」という本を出版しているので、僕の意見を聞いてきたのだ。

知人はH氏が、戦時中スラウェシ(セレベス)に駐屯していたA氏の話としてサギへ島で日本軍が住民24人を虐殺したと紹介しているが、知人は、この事件が関係国、関係機関、個人(除くH氏)も発表していないし、調査もしていない、きわめて奇怪な不思議な事件である。A氏とはだれなのか、ご存知なら、あなたの所見と共に教えてくれとあった。

大東亜戦争中のインドネシアの軍政について、和蘭の国立戦争資料館ともかって連絡をとり調査したことあり、虐殺についてもポンティアナ(西カリマンタン)他おもな場所へは現地まで行き調べているが、このサギへ虐殺については知らなかった。しかし、H氏がニュース.ソースとされるA氏とおぼしき人物とは一面識あった。A氏は戦時中、北スラウェシの独立歩兵大隊の下士官だった人で、たまたま同じ部隊に、新聞社時代の先輩がいて、僕が軍政を調べていると聞き”彼の話は要注意”と忠告を貰っていた。

H氏は自分が主宰する「昭和史」講座にA氏が寄稿してきた原稿を通じてこの事件を知った。原稿の内容からみると、その後A氏と何回かあっているようだが、サギへ現地にはいっていないようだ。A氏は戦後1990年代になってキリスト教関係の団体を通じてマナドに長期滞在していたが、本格的にインドネシア語を勉強したとは思えない。虐殺された事件の犠牲者たちが書いた文書があるそうだが、だれが日本語に訳したのであろうか。それと軍事用語だがサギへは海軍統治地区なのに陸軍の憲兵が登場してきたりしている。

このような真偽が判らない不確かな情報を新たに掘り起こして公表する意義が今あるのであろうか。戦後70年の区切りの年で、インドネシアの事に触れるなら、例えばパレンバンのムシ川にかかる開閉橋とか、ジャワの「SABO(砂防)センター」などわが国からの賠償資金やODA援助について触れて貰いたかった。