7月の第3月曜日は国の祝日「海の日」である。制定されてから今年で20年になるが”ハッピ―.マンデイ”で、毎年日が変わることもあって今一つ国民の間で休日意識が定着しない。特に80の老人にとっては「海」は、はるか遠い想い出ばかりの存在になってしまった。
東京23区内で40数年ぶりに葛西海浜公園{江戸川区}で”顔を海につけて”泳げる海水浴場が復活した。お台場でも泳げないが、「渚」遊び程度はできるようになったという。喜ばしいことだが、考えてみると戦後70年、僕は東京23区内の海では泳いでいない。最後に泳いだ記憶は月島(中央区)の埋め立て地であった。今は埋め立てが進み、どのあたりか判らなくなってしまったが、都電の終点で降りて15分ほど歩いたところであった。昭和18年の夏休み、亡父の友人がここで水泳道場を開いていた。
僕が最初に泳げるようになったのは昭和15年、お台場(品川区}で開催された海洋少年団主催の水泳教室であった。会場は今は埋め立てられた第2お台場で、浜松町駅近くの小さな船着場から艀(はしけ)に乗って出かけた。会場には初心者用にプール状の大きな木箱が備え付けてあった。水泳教室の最終日には、上級者は羽田沖まで遠泳をした。
葛西海浜公園が、どのあたりかさっぱり見当がつかないが、昭和17年、当時総武線の平井鉄橋下の水泳道場から葛西橋までの川下りの遠泳に参加したことがある。調べてみると12キロあるが、よく泳げたものである。平井鉄橋下あたりは引潮時にはゴミが露出して、子供心に不衛生に思われたが、顔を水面につけて平気で泳いだ。月島もお台場のけっしてきれいな海ではなかった。誤解を招きそうなの一筆すルが、もう当時は一般都民は東京の海では泳ぐ習慣はなかった。
東京23区内で40数年ぶりに葛西海浜公園{江戸川区}で”顔を海につけて”泳げる海水浴場が復活した。お台場でも泳げないが、「渚」遊び程度はできるようになったという。喜ばしいことだが、考えてみると戦後70年、僕は東京23区内の海では泳いでいない。最後に泳いだ記憶は月島(中央区)の埋め立て地であった。今は埋め立てが進み、どのあたりか判らなくなってしまったが、都電の終点で降りて15分ほど歩いたところであった。昭和18年の夏休み、亡父の友人がここで水泳道場を開いていた。
僕が最初に泳げるようになったのは昭和15年、お台場(品川区}で開催された海洋少年団主催の水泳教室であった。会場は今は埋め立てられた第2お台場で、浜松町駅近くの小さな船着場から艀(はしけ)に乗って出かけた。会場には初心者用にプール状の大きな木箱が備え付けてあった。水泳教室の最終日には、上級者は羽田沖まで遠泳をした。
葛西海浜公園が、どのあたりかさっぱり見当がつかないが、昭和17年、当時総武線の平井鉄橋下の水泳道場から葛西橋までの川下りの遠泳に参加したことがある。調べてみると12キロあるが、よく泳げたものである。平井鉄橋下あたりは引潮時にはゴミが露出して、子供心に不衛生に思われたが、顔を水面につけて平気で泳いだ。月島もお台場のけっしてきれいな海ではなかった。誤解を招きそうなの一筆すルが、もう当時は一般都民は東京の海では泳ぐ習慣はなかった。