先日(7月19日)小ブログで北スラウェシ(インドネシア)のサギヘ列島での戦時中の住民虐殺事件を扱った昭和史研究家の記事を紹介したところ、早速、知り合いの先輩からサギヘ列島の地図に添えた手紙をを頂いた。先輩は戦時中マカッサル(南スラウェシ)にあった海軍民政部の軍属だった方だが、やはり虐殺事件については知らなかったし、戦後の和蘭の峻烈を極めた裁判からみて不問なのはおかしいという意見であった。
10数年前だが、僕は上智大学の村井吉敬教授(故人)が書いた「サジとアジアと海世界」という本の中で、教授がアラフラ海の孤島ババル島を訪れ、現地で戦時中、日本軍が400人とも500人ともいえる住民を虐殺した事件につて聴き取り調査をした記事を読んだ。村井教授の調査のきっかけも、元軍人Tさんの秘密文書によるもので、サギヘ島の虐殺と似ている。また、両事件とも戦後の連合軍裁判で問題にされていない。
ババル島虐殺について当時僕は知り合いを通じて同島を管轄していた第五軍の参謀から話を聞き、島の隊長だった方を紹介された。隊長は僕のお会いしたいという申し出に対し、昔の事を想い出したくないと丁重な断りがあった。僕が当時受けたこの事件についての印象は,虐殺といより、狭い島の中での煙草を巡る日本兵と島民と争いであり、襲撃された日本軍の自己防衛色が強かった。
本格的に調査した訳ではないが、もしかすると歴史の表面から消えてしまった、このような事件がほかにもあるかもしれない。しかし、戦後70年に当たって、新しくこのような事件を掘り起こすよりは、戦争の反省に立って、もっと未来志向ですることが他にあるのではないだろうか。
10数年前だが、僕は上智大学の村井吉敬教授(故人)が書いた「サジとアジアと海世界」という本の中で、教授がアラフラ海の孤島ババル島を訪れ、現地で戦時中、日本軍が400人とも500人ともいえる住民を虐殺した事件につて聴き取り調査をした記事を読んだ。村井教授の調査のきっかけも、元軍人Tさんの秘密文書によるもので、サギヘ島の虐殺と似ている。また、両事件とも戦後の連合軍裁判で問題にされていない。
ババル島虐殺について当時僕は知り合いを通じて同島を管轄していた第五軍の参謀から話を聞き、島の隊長だった方を紹介された。隊長は僕のお会いしたいという申し出に対し、昔の事を想い出したくないと丁重な断りがあった。僕が当時受けたこの事件についての印象は,虐殺といより、狭い島の中での煙草を巡る日本兵と島民と争いであり、襲撃された日本軍の自己防衛色が強かった。
本格的に調査した訳ではないが、もしかすると歴史の表面から消えてしまった、このような事件がほかにもあるかもしれない。しかし、戦後70年に当たって、新しくこのような事件を掘り起こすよりは、戦争の反省に立って、もっと未来志向ですることが他にあるのではないだろうか。