「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

昭和10年代東京の夏の想い出

2015-07-30 04:44:15 | 2012・1・1
昨夕、東京23区のわが家の周りで今夏初めて蝉の鳴き声を聞いた。戦前、東京の小学校の夏休みは7月21日から始まったが、ニイニイ蝉は梅雨の最中から鳴きだし、休みに入る頃には街中でもアブラ蝉は大合唱、すこし木が茂っている場所では、ミンミン蝉やツクツクボウシの鳴き声さえ聞こえた。トンボの姿もまだ今年は目にしていないが、昭和10年代の東京では、ムギワラ、シオカラは至る所におり、子供たち憧れのギンやチャンと東京では呼ばれていた大型のヤンマさえいた。

僕らは「日射病」に気をつけろと母親に注意されたが、麦わら帽子をかぶり一日、もち竿と篭をもって外を駆けずり回っていた。のどが乾くと崖下の湧水に口を当て飲んだりした。まだ23区内にも原っぱが残っていた。家の近くに青物市場があり、八百屋さんが坂をリヤカーで登って来ると、後押しして貰ったおカネでアイスキャンデイを買ったりした。

長い夏の日が終わり陽が沈んでも、子供たちはよく遊んだ。路地に竹の縁台を持ち出して”まわり将棋”をしたり、花火遊びをした。数があって一番安い”線香花火”や”ネズミ花火や、時には紙筒に入った”音のする”花火に興じた。縁台に座った足元には渦巻状の蚊取り線香がたかれてあった。

早朝の学校でのラジオ体操も懐かしい、カードに出席の「出」の判を押して貰い、最終日にご褒美の文房具を貰うのが嬉しかった。ラジオ体操には子供たちだけでなく、”ステテコ”姿のおじさんも沢山参加していた。学校から休み中毎日つける夏休み手帳が渡されていたが、気温をつけ忘れ、休みの終りになって大慌てした記憶が苦い想い出として残っている。考えると、もう70年以上も昔のことだ。