梅雨が明けて間もないというのに東京は連日真夏日が続いている。練馬の観測地点では、すでに18日記録し、うち3日は35℃を超す猛暑日とのこと。僕はすっかりバテ気味だが、老妻が昨日、この暑さの中を娘と一緒に大正時代に夭折した僕の叔母の消息を求めて浅草の長国寺へ出かけてくれた。
先日、わが家の歴史を調べていたら、亡父の昭和13年8月14日の日記にこんな記述があった。「今日は亡妹の23回忌である。午前9時、一家をあげて浅草田圃(たんぼ)の長国寺へ墓参にでかけた。年回忌というのに誰も詣でないのは可哀いそうである」。亡妹とは僕の唯一人の叔母だである。亡父から生前叔母が嫁入りして間もなく結核で亡くなったことは聞いていたが、ご遺骨がどこに葬られているかは知らなかった。老妻はの僕の亡母から、入谷の鬼子母神のお寺だと聞いていて、先年朝顔市のさい出かけ探したがたが判らずじまいになっていた。
帰宅した老妻の話によると、叔母のお墓は戦災で焼失、その後遺族も不明のため整理されていた。しかし、お寺さんの過去帳には戒名が残っていた。叔母は大正4年8月14日に亡くなっていた。今年は叔母が亡くなって百年にあたる、わが家の仏壇には叔母が結婚前に牛込の写真館で撮った一枚の写真がある。亡父の遺品箱には、叔母が卒業した高等女学校の免状も残っている。
老妻が亡母から聞いた話では、叔母は第二の”樋口一葉”とも言われ、明治後期の文芸雑誌にかなり作品が残っているという。これを契機に叔母を偲んでその作品探しをしようと思っている。
先日、わが家の歴史を調べていたら、亡父の昭和13年8月14日の日記にこんな記述があった。「今日は亡妹の23回忌である。午前9時、一家をあげて浅草田圃(たんぼ)の長国寺へ墓参にでかけた。年回忌というのに誰も詣でないのは可哀いそうである」。亡妹とは僕の唯一人の叔母だである。亡父から生前叔母が嫁入りして間もなく結核で亡くなったことは聞いていたが、ご遺骨がどこに葬られているかは知らなかった。老妻はの僕の亡母から、入谷の鬼子母神のお寺だと聞いていて、先年朝顔市のさい出かけ探したがたが判らずじまいになっていた。
帰宅した老妻の話によると、叔母のお墓は戦災で焼失、その後遺族も不明のため整理されていた。しかし、お寺さんの過去帳には戒名が残っていた。叔母は大正4年8月14日に亡くなっていた。今年は叔母が亡くなって百年にあたる、わが家の仏壇には叔母が結婚前に牛込の写真館で撮った一枚の写真がある。亡父の遺品箱には、叔母が卒業した高等女学校の免状も残っている。
老妻が亡母から聞いた話では、叔母は第二の”樋口一葉”とも言われ、明治後期の文芸雑誌にかなり作品が残っているという。これを契機に叔母を偲んでその作品探しをしようと思っている。