巨額の新国立競技場建設計画について昨日、安倍総理が白紙に戻し、ゼロペースで再検討すると公表した。正直”よかった、よかった”というのが国民の声である。なぜ、こうしたことになったのか解からないが、おかしいのは、つい最近も「有識者会議」が、ためらいもなく巨額計画を認めていたことだ。「有識者」とは”有識”はあっても”常識”を持ち合わせていないように僕には思えた。
51年前の東京五輪当時の事を思い起こしてみた。国中が五輪で沸き立っていたが、会場が”どうだ、こうだ”といった問題はあまり話題にならなかったように思う。メーン会場の国立競技場(霞が丘)は、すでに昭和33年のアジア大会の時、五輪招致を考えて出来ており、観客席を10万人に拡張するだけだった。言ってみれば、6年前の”お古”だが、それ以上新しくせよという声はなかった。
問題は、代々木会場が進駐軍宿舎の返還交渉が手間を取り、果たして開場に間に合うかという点であった。確か起工したのは五輪の前年で、僅か18か月で完成している。最後の工期は24時間昼夜兼行で工事が行われた。今、思うと、あの時代はわが国にとって、五輪は荷が重すぎる国家事業だったのかもしれない。が、それを成り遂げられたのは、国民が一丸になった心であった。そして、それを支えたのは節約と勤勉であった。
節約と勤勉は日本人の美徳の一つである。このまま「有識者」の意見を入れて新国立競技場を作っていたら、国民の不満のまま残り、五輪を迎えることになった。当然なこととはいえ、安倍総理の大決断である。
51年前の東京五輪当時の事を思い起こしてみた。国中が五輪で沸き立っていたが、会場が”どうだ、こうだ”といった問題はあまり話題にならなかったように思う。メーン会場の国立競技場(霞が丘)は、すでに昭和33年のアジア大会の時、五輪招致を考えて出来ており、観客席を10万人に拡張するだけだった。言ってみれば、6年前の”お古”だが、それ以上新しくせよという声はなかった。
問題は、代々木会場が進駐軍宿舎の返還交渉が手間を取り、果たして開場に間に合うかという点であった。確か起工したのは五輪の前年で、僅か18か月で完成している。最後の工期は24時間昼夜兼行で工事が行われた。今、思うと、あの時代はわが国にとって、五輪は荷が重すぎる国家事業だったのかもしれない。が、それを成り遂げられたのは、国民が一丸になった心であった。そして、それを支えたのは節約と勤勉であった。
節約と勤勉は日本人の美徳の一つである。このまま「有識者」の意見を入れて新国立競技場を作っていたら、国民の不満のまま残り、五輪を迎えることになった。当然なこととはいえ、安倍総理の大決断である。