先日、日本記者クラブで村山富市(元総理)と河野洋平(元官房長官)二人の”従軍慰安婦”謝罪発言当事者のW妄言を新聞で読んだ。80歳半ばの僕が読んでも、二人の戦争認識はおかしい。とくに卒寿(90歳)を過ぎた村山氏の認識は老害である。年齢からみて戦争体験者、軍歴もある世代なのに、これでは、お国ために戦った数百万人の英霊が浮かばれない。
村山氏は昭和20年、宮崎県都城の陸軍歩兵第23連隊に入隊、熊本で幹部候補生として訓練を受け、終戦で任官した軍曹だと軍歴にある。従って戦地へは赴いていないが、第23連隊の主力は大東亜戦争中、パプア.ニューギニアのソロモン群島の一つブーゲンビル島攻防戦で、壮烈な戦闘を展開、兵力の過半数が犠牲になっている、連合艦隊司令長官、山本五十六元帥が敵の戦闘機で撃ち落され戦死されたのたのもこの地である。
当時、ブーゲンビルは「ボーゲンビル」と呼ばれ、戦闘による死者が多いことから「ボ―ゲンビル」の‘ボ”を取って「墓島」と呼ばれていた。最近読んだ丸谷元人氏の「日本の南洋戦略」の中に戦時中のブーゲンビルの事が出てくるが、戦闘で現地人たちは、村を追われ、生活が破壊されたが、何故か、現地人たちは日本に恨みを持たず、親日的だそうである。それは丸谷氏によれば、日本兵が”同じ人間”として扱ったからだという。
ブーゲンビル島は、長い内戦の後、2005年、パプア共和国の自治政府として独立し、初代の大統領カブイ氏が06年来日、靖国神社を参拝したことが話題になったが、村山元総理が靖国神社を参拝した話は聞いたことがない。僕は丸谷氏の本を読んで、村山氏が謝罪するならブーゲンビルの現地人であり、歴史認識で妄言をはくより、同じ連隊の先輩兵士が眠る慰霊碑に参拝したほうがよいのにと思ったりした。
村山氏は昭和20年、宮崎県都城の陸軍歩兵第23連隊に入隊、熊本で幹部候補生として訓練を受け、終戦で任官した軍曹だと軍歴にある。従って戦地へは赴いていないが、第23連隊の主力は大東亜戦争中、パプア.ニューギニアのソロモン群島の一つブーゲンビル島攻防戦で、壮烈な戦闘を展開、兵力の過半数が犠牲になっている、連合艦隊司令長官、山本五十六元帥が敵の戦闘機で撃ち落され戦死されたのたのもこの地である。
当時、ブーゲンビルは「ボーゲンビル」と呼ばれ、戦闘による死者が多いことから「ボ―ゲンビル」の‘ボ”を取って「墓島」と呼ばれていた。最近読んだ丸谷元人氏の「日本の南洋戦略」の中に戦時中のブーゲンビルの事が出てくるが、戦闘で現地人たちは、村を追われ、生活が破壊されたが、何故か、現地人たちは日本に恨みを持たず、親日的だそうである。それは丸谷氏によれば、日本兵が”同じ人間”として扱ったからだという。
ブーゲンビル島は、長い内戦の後、2005年、パプア共和国の自治政府として独立し、初代の大統領カブイ氏が06年来日、靖国神社を参拝したことが話題になったが、村山元総理が靖国神社を参拝した話は聞いたことがない。僕は丸谷氏の本を読んで、村山氏が謝罪するならブーゲンビルの現地人であり、歴史認識で妄言をはくより、同じ連隊の先輩兵士が眠る慰霊碑に参拝したほうがよいのにと思ったりした。