「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

銃後21歳で逝った姉の死に想う

2016-05-02 06:50:42 | 2012・1・1
一人だけの姉弟だった姉が昭和19年5月2日、21歳の若さで早逝して72年になる。姉は戦争中、若者たちが戦場へ駆り出された人出不足の銃後の社会で、働きすぎが原因で肺結核で倒れ、僅か5か月の病床で不帰の客となった。姉は戦争には直接関係がない、生命保険会社に勤務していたが、戦死者が多くなった時世を反映してか毎日、夜7時過ぎまで夜勤が続き、その過労が引き金になってしまった。

昭和19年という年は”大東亜戦争が益々過酷の度を極めてきた年”(亡父の日記)で、戦場だけではなく銃後の社会も峻烈であった。食糧も衣類もなくなり、すべて弱い者にしわ寄せが来た。そんな中での姉の病床生活であった。亡母は看護の傍ら、姉に少しでも栄養があるものをとヤミの卵や牛乳を買い出しに歩いた。中学1年だった僕も毎日、高熱の姉のために1貫5百目(約6㌔)の氷を買いに行った。近くの医師も連日、往診にきてくれたが、当時は結核の特効薬はなかった。

姉ばかりではない。この年8月Ⅰ日には54歳の叔母も鬼籍を異にしている。叔母は夫に先立たれ、二人の息子を戦場に送り独り暮らしだったが、その心労と栄養不足から急死した。亡父の日記を見ると、わが家ばかりではない。毎月のように亡父は知り合い、友人の葬儀に参加している。そして定年後区役所に勤務していたが、その仕事は出征兵士を見送るのと、英霊を出迎える式に参列することであった。

大型連休の真ん中、テレビの画面を見ると、高速道路は行楽客で渋滞。空港は国外旅行客で満員。景気が悪いといっても、あの時代を体験した世代にとってはお今は好い時代である。