僕の長年行きつけの理髪店の店先に閉店の挨拶のビラが張られていると娘が知らせてくれた。老妻が買物のついでに確認したところ、80歳をすぎた店主の手先に少し震えが出てきたので大事をとって閉店に踏み切ったとのこと。そして、長年の愛顧に感謝しますと図書券を頂戴した。昔ながらの商人道、いまだに地に落ちずである。
都会で理髪店の数が減り始めてきてからかなりたつ。若い世代の”床屋離れ”が始まり、子供が床屋へ行かなくなってから久しい。その影響で理髪師になる志望者が減り、代々の稼業をつぐ者がなくなり店を閉じるという悪循環だ。戦前昭和から30年代にかけては街の理髪店はどこも満員で、順番待ちは当然という盛況だったのが、まるで夢のようだ。
閉店で、僕は次の理髪店探しに困惑している、老妻は息子や孫が行っている美容院を勧めてくれた。料金は床屋さんの半額ぐらいだ。しかし、頭の固い僕は、女性が行く美容院で頭の毛を刈り、髭をそって貰う気持ちにならない。それに、昔から続く理髪店独特の”床屋談義”の雰囲気が好きなのだ。美容院の若い女性とでは”床屋談義”をしても始まらない。
時代の流れで仕方がないのかもしれないが、昔の夢追い人の老人には寂しい。しかし、老人といっても最近の前期高齢者は美容院での整髪にあまり抵抗がないらしい。床屋さん好きの後期高齢者がいなくなれば、街からあの赤と青の看板が姿を消える日がくるのも近いかもしれない。
都会で理髪店の数が減り始めてきてからかなりたつ。若い世代の”床屋離れ”が始まり、子供が床屋へ行かなくなってから久しい。その影響で理髪師になる志望者が減り、代々の稼業をつぐ者がなくなり店を閉じるという悪循環だ。戦前昭和から30年代にかけては街の理髪店はどこも満員で、順番待ちは当然という盛況だったのが、まるで夢のようだ。
閉店で、僕は次の理髪店探しに困惑している、老妻は息子や孫が行っている美容院を勧めてくれた。料金は床屋さんの半額ぐらいだ。しかし、頭の固い僕は、女性が行く美容院で頭の毛を刈り、髭をそって貰う気持ちにならない。それに、昔から続く理髪店独特の”床屋談義”の雰囲気が好きなのだ。美容院の若い女性とでは”床屋談義”をしても始まらない。
時代の流れで仕方がないのかもしれないが、昔の夢追い人の老人には寂しい。しかし、老人といっても最近の前期高齢者は美容院での整髪にあまり抵抗がないらしい。床屋さん好きの後期高齢者がいなくなれば、街からあの赤と青の看板が姿を消える日がくるのも近いかもしれない。