「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

"朝(あした)には夕(ゆうべ)を謀れず” ある先輩の死

2016-05-14 05:15:59 | 2012・1・1
昔、勤務していた新聞社から最新の社内報が届いた。馬齢のせいなのだろう。近頃はまず目にするのは「旧友会」(OB会)の訃報欄である。この号にも今年1月から3月までに他界された10人の方の名前が載っていた。そのうち5人はかって一緒に仕事をした先輩や仲間たちで、2人は同期入社組である。

老妻の実家は葬儀の際”浄土真宗の”(あした)には紅顔ありて夕(ゆうべ)には白骨となる”というお経を唱える。人の一生は”朝には夕を謀れず”(李家.陳情の表)というのである。まさにその通りだ。亡くなられた先輩の一人、Hさん(91)とは昨年11月の「旧友会」総会で奥様同伴の元気なお顏を拝見したばかりであった。

Hさんは僕が入社して間もなく社会部の駆け出し記者だった頃「デスク」で、取材の手ほどきをしてくれた。その後、部署が違い再び一緒に仕事をしたことはなかったが、退職後、僕がインドネシアを中心にフリーな仕事をしていた時、Hさんが戦争中、大東亜省直属の専門学校「拓南塾」を卒業、ジャワで勤務していたことを知った。「拓南塾」は戦争中、東京の小平にあり、大東亜共栄圏各地での軍政要員を育成する機関だった。

「拓南塾」出身者もみな90歳を超え、聴き取り調査が難しくなってきた。昨年Hさんにお会いした時、ぜひ、昔の話を聴かせて頂きたいとお願していたのだが、果さず残念である。まさに”朝には夕を謀れぬ”年代になってきた。余生を大切にしなくてはならないと、考える今日この頃である。